[未校訂] 寛延四年に起こったのだが、この年の冬宝暦と改元にな
ったので、俗に宝暦地震と呼んでいる。四月二十五日初夏
の夜[丑|うし]の刻(午前二時)に起こり、一日置いて二十七日朝
にも強震があった。特に災害のひどかったのは、西浜[七|なな]谷
といわれた桑取谷以西で、海岸ぞいの北国街道がずたずた
になった。名立小泊という村は、名高い名立くずれで、ほ
とんど一村が全滅した。
宝暦地震の被害(榊原領内だけ)(万年覚)
高田([家|か]中を除く)
潰家二〇八五軒 半潰四一四軒
破損四四五軒 潰土蔵四一六
死者二九二人 伝馬二疋 けが馬八疋
寺社の被害
本坊七七か寺 地中八四か寺
社家六 山伏八 死者三四人 傷者一五人
領内(六万石、今町を含む)
死者五〇五人(僧を含む)
傷者二六二人
死馬八五疋 痛馬五二疋 死牛一二疋
潰家二〇九九軒 半潰三一五二軒
寺一〇〇 内四五寺半潰
社二五 内一八半潰 堂一五 内六半潰 庵五 内一半
潰
[納屋|なや]一〇三 内八一半潰
土蔵七一 内四一半潰 郷蔵四 船蔵二
用水江堤堰川筋破損一六八か所 同損亡の村方八か村
樋一七か所 損亡の村方四か村
山抜崩川欠四七一か所 外山崩二か所 山崩村三か所
橋五二
高札場三
荒井代官所管内(天領)
潰家四四五軒 半潰一一四八軒
死者四四四人 死馬二六
川浦代官所管内(天領)
潰家一四五四軒 半潰一四〇八軒
焼失二軒 潰寺二三 潰社二 社家一 郷蔵二〇
死者一〇九人 死馬三八
(その他を略す)
辰尾新田武藤昌隆氏方の記録によると、高田を除く頸城
郡中で死者一九五二人、傷者三二〇人、死馬二二五ひき、
全[潰|かい]四八六六軒、半潰七六九四軒、けが馬一五一ぴきの外
に、潰れた寺一五五か寺、半潰八一か寺、神社一二か所、
[郷蔵|ごうぐら]三二、火事一四か所あった。
本村では、西松野木勝念寺の本堂・[庫裏|くり]・経蔵・[鐘|しゆ]楼全
部がくずれたほどであるから、他の民家も相当な被害があ
ったのであろう。