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項目 内容
ID J0803368
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔高田市史 一〕○新潟県
本文
[未校訂] 翌宝暦元年(一七五一)四月二十五日夜、[丑|うし]の刻(午前
二時)に大地震が起り、所々に水が湧き、泥砂が吹き出
し、城郭、大手門[蹴出|けだし]門が倒れ、土居まわりがくずれ侍屋
敷と長屋が大破し、市中もまた大損害を受けた。また春日
町から火事が出て二〇軒焼失し、焼死一四人を出し、陀羅
尼町・稲田町・西村町からも出火した。
 藩では、二十六日に目付一人を江戸表へ報告のために立
たせるとともに、家中及び町方の調査に徒目付を派遺し
た。一方、救急対策として、評定所台所でかゆをたいて藩
士にほどこし、町方に対してはうまやでかゆのたき出しを
行った。このたき出しは二十九日まで続いたが、金持まで
集ってきておびたゞしい数に達した。盲人に対しては別の
手当を与えた。
 家中のつぶれた家や、かたむいたものには、雨露を防ぐ
ため、千石から百石までは渋紙一枚、なわ一束ずつ、長屋
住居の者には一むねにつき渋紙二枚、なわ若干、足軽以下
にはかや[簀|す]二―三枚ずつを与えた。
 翌二十七日朝再び強震があって家中と町方に損害を出し
た。頸城郡誌稿には、当日の状況を次のように記してい
る。
(注、本書五一一頁〔訂正頸城郡誌稿〕参照)
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 530
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 高田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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