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項目 内容
ID J0803366
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔北蒲原郡史 三〕○新潟県
本文
[未校訂]越後高田大震。(日本災異志、越後年代記、日本震災凶饉
攷)
四月二十五日夜丑刻大地震二十六日より五月十日まで百
余回震ひ、爾後十一月頃まで日に二三回づゝ翌年二月頃
まで折々震ふ。最初二十五日の動揺最も烈しく山岳崩れ
民舎倒る。高田地方損害左の如し。
城下にては、
潰家 千八十二軒
破損甚しく潰れに同き家 四百十軒
破損家 六百十四軒
即死人 二百九十人
(内、男百十八人、女百七十四人)
潰土蔵 四十六棟
破損土蔵 百五十棟
潰寺 六十九寺
家中屋敷長屋潰れ 百二十余軒
家中屋敷長屋半潰れ 八十軒
家中屋敷長屋大破損 七十軒
即死人 四十余人
高田領村々にては
潰家 二千九十軒
半潰家 三千百四十余軒
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 523
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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