[未校訂] 九、寛保元年酉七月十九日午下剋、小浜町浦急に汐込あ
り、凡二十間余、しはらくありて引。是まてヶ様の汐込例
なし、人々不審をなす。一ヶ月経て、七月廿三日の書付松
前より来る。左の如し。
七月十九日朝六つ時津波いたし城下家共二軒つふれ、懸り
舟七十艘残らす用立申さす、舟子死人四十弐人。江指にて
懸り舟八拾艘の内七十二艘破船、死人百人斗。其外海辺二
十九村家残らす、或は家半分、又は四五軒残るもあり、人
も少々残るもあり、凡死人弐千人余、委しく末々の浦々に
は未知候。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0802879 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1741/08/28 |
和暦 | 寛保元年七月十八日 |
綱文 | 寛保元年七月十八日(一七四一・八・二八)〔津軽・江差〕大島噴火・津波あり |
書名 | 〔拾椎雑話〕○福井 |
本文 |
[未校訂] 九、寛保元年酉七月十九日午下剋、小浜町浦急に汐込あ
り、凡二十間余、しはらくありて引。是まてヶ様の汐込例 なし、人々不審をなす。一ヶ月経て、七月廿三日の書付松 前より来る。左の如し。 七月十九日朝六つ時津波いたし城下家共二軒つふれ、懸り 舟七十艘残らす用立申さす、舟子死人四十弐人。江指にて 懸り舟八拾艘の内七十二艘破船、死人百人斗。其外海辺二 十九村家残らす、或は家半分、又は四五軒残るもあり、人 も少々残るもあり、凡死人弐千人余、委しく末々の浦々に は未知候。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 |
ページ | 307 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 福井 |
市区町村 | 福井【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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