[未校訂] 享保三年一七一八にも石垣の修理があった(関川千代丸氏史
料)。本丸の土戸門入口辺の石垣、高さ五尺横一間ほどが
崩れ、天守と川戸門の間で石垣高さ八尺、横一間半ほどが
崩れ、高さ八尺横二間ほどが孕んだ。関川氏の史料はこの
年九月願出の扣書で、すぐ許可があったにちがいない。高
島藩の場合はいつもすぐ許可されるのが例であるから。
(注、城主忠虎の妻が松平中務大輔昌勝(越前家)の[女|むすめ]で、
家康の曾孫に当り、母は秀忠の女)
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0801584 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1718/08/22 |
和暦 | 享保三年七月二十六日 |
綱文 | 享保三年七月二十六日(一七一八・八・二二)〔信濃〕羽前・越後・江戸・遠江・京都・奈良・名古屋 |
書名 | 〔諏訪高島城〕○長野県 |
本文 |
[未校訂] 享保三年一七一八にも石垣の修理があった(関川千代丸氏史
料)。本丸の土戸門入口辺の石垣、高さ五尺横一間ほどが 崩れ、天守と川戸門の間で石垣高さ八尺、横一間半ほどが 崩れ、高さ八尺横二間ほどが孕んだ。関川氏の史料はこの 年九月願出の扣書で、すぐ許可があったにちがいない。高 島藩の場合はいつもすぐ許可されるのが例であるから。 (注、城主忠虎の妻が松平中務大輔昌勝(越前家)の[女|むすめ]で、 家康の曾孫に当り、母は秀忠の女) |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 |
ページ | 182 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 長野 |
市区町村 | 諏訪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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