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項目 内容
ID J0601419
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1666/02/01
和暦 寛文五年十二月二十七日
綱文 寛文五年十二月二十七日(一六六六・二・一)〔越後〕八王子⇨二十九日
書名 〔三郷村誌〕○高田市
本文
[未校訂]3 高田地震 寛文五年(一六六五)
 この年の冬十二月二十七日[未|ひつじ]の下刻(午後三時)ごろ
から約[二時|ふたとき](四時間)にわたって激震があり、一丈四尺
(四三四センチ)余という近年まれな積雪の中での大災害
であった。高田では城も侍屋敷も町家もほとんどたおれ、
火災もこたつなどから起こり、逃げようとしても雪の壁に
さえぎられ、そのため圧死者・焼死者合わせて一、五〇〇
人にのぼったという。家中侍の死者三五人、家族ら一二〇
人。越後家の首席家老小栗五郎左衛門[正高|まさたか](美作の父)、
次席家老[荻田隼人|おぎたはやと]のふたりも圧死した(高田市史)。
 領内村々の損害はどれほどであったかの記録はない。所
山田村(現上杉村)の池松繩文書「農政年代記」は、つぎ
のように記している。
[此極月|このごくげつ](十二月)二十七日大地震、初春(正月)までい
る(ゆれること)。大雪にて御座候へども、土中、下よ
り地ふるい割れ候て、雪上まで青土[出|いで]、[惣而|そうじて]在辺は石す
[へ|え]の家はたをれ、ほり[立|たて]家少々[残|のこる]。人民皆々雪上に小
屋立候[而|て][過|すごし][申|もうし]候。
[此節|このせつ]大ぶしん(高田城下の)に人足当り、人民難儀[仕|つかまつ]
り候。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 316
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 三郷【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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