[未校訂]寛文二年九月十九日(一六六二)
日向大隅地大震う海嘯起り損害甚多(続日本王代一覧、
続皇年代略記、玉露叢)
日向に在りては有馬氏居城(延岡)の石垣四間破壊、五
間崩壊す、津波のため所々流亡せし田畑総て五十七町余、
宮崎下別府の湊に泊せし船舶十余艘破損、ために潮入りと
なりし穀類麦二百二十俵余、米五千五百俵余、破損堤防十
三ケ所、此の間数合せて六百七十間余、破損の井手溝三ケ
所、此の間数合わせて百四十間、その他道路崩頽して当時
目下通行なり難き所また多し、倒家一千三百余宇、半倒家
五百十宇、死する者五人(按ずるに五の下若干百を脱する
に似たり)(続皇年代略記原文の儘)
幕府預り他の損害は、宮崎下別府の湊において海嘯のた
め沈没せし公米二百六十俵余、倒家九十宇余、半倒家百二
十宇余(玉露叢)
佐土原は城郭の石垣崩れ、士庶の屋舎破壊せしもの八百
余宇(続日本王代一覧)大隅もまた地大いに震い、海嘯起
り、山崩れ地裂く、陸地の海となる数十町、人畜多く死す
(続皇代年略記、続日本王代一覧、日本野史、玉露叢)