[未校訂]浦見坂岩きりとほし行水の
流れての世に
遺る勲か
浦見坂
気山に在り、水月、久々子両湖の間の丘陵を云ふ寛文年
中、坂路を開鑿して浦見川となし、其の東に新に坂路を
開き、亦浦見坂と称す。坂頂に至れば海浦遠近一眸のう
ちにあり。故に浦見と名くと。又同訓なるを以て怨坂と
も書す。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0601254 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1662/06/16 |
和暦 | 寛文二年五月一日 |
綱文 | 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔山城・大和・河内・和泉・摂津・丹波・若狭・近江・美濃・伊賀〕駿河・三河・信濃・伊勢・武蔵→十二月まで余震 |
書名 | 〔故郷百首〕 伴信友 |
本文 |
[未校訂]浦見坂岩きりとほし行水の
流れての世に 遺る勲か 浦見坂 気山に在り、水月、久々子両湖の間の丘陵を云ふ寛文年 中、坂路を開鑿して浦見川となし、其の東に新に坂路を 開き、亦浦見坂と称す。坂頂に至れば海浦遠近一眸のう ちにあり。故に浦見と名くと。又同訓なるを以て怨坂と も書す。 |
出典 | 新収日本地震史料 第2巻 |
ページ | 281 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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