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項目 内容
ID J0600269
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1611/12/02
和暦 慶長十六年十月二十八日
綱文 慶長十六年十月二十八日(一六一一・一二・二)〔北海道南東岸・津軽・三陸〕→津浪あり
書名 〔米沢雑事記〕「鶴城叢書十」
本文
[未校訂]一昔より大地震度々有言とも正に其時にあひし人の物語に
慶長十九年十一月の地震に地のわれたる切口の所を十二
三才計の童とも集りて向の岸へとひはねるを見るに片足
はねにしてとひなからはねる得はとひ付事もあり双足は
ねにては成り兼るよし
又寛永二十年にも大地震有之愚老覚候ては延宝五年九月
頃は所に依て山も崩れ候よし又元禄十五年江戸大地震は
慶長十九年以来無之と申候宝永二年冨士山の中段焼くつ
れて近国へ砂ふりし事夥し依之取除の御普請御入方諸国
へ高割に懸る此時山の中段ゟ出候〓病を宝永山と号く
落書に あしからや灸をするかのふしさん里
気をひきくたす 下のゆたかさ
此時下はくたひれし
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 101
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 米沢【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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