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項目 内容
ID J0600038
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 慶長元年閏七月十三日(一五九六・九・五)〔山城・摂津・和泉〕⇨翌二年四月まで余震続く
書名 〔堺市史 二 本篇二〕
本文
[未校訂]特に慶長元年閏七月十三日夜の大震災は余震が数箇月に亘
り、近畿地方に大損害を与へたが、堺に於ても、大地激震
三時許も続き、民屋堂舎の倒潰する音物凄きばかり、材木
の下敷となった人々の暗黒を破って号泣する声全町に充満
し、さながら全世界が地中に埋没するかと疑はるゝ程であ
った。死者六百余人に達し、折しも此地に滞在しつゝあっ
た明使沈惟敬の従者二十余人も其犠牲の中に入った。(日
本西教史、耶蘇会日本年報)斯くて僅々三時間で倒潰した
家屋を新たに建つるとすれば、五年かゝるも覚束なからう
とさへいはれた。それと二万の家屋や寺院の殆ど全部を焼
失した次期元和元年の兵燹とが、堺の住民に及ぼした精神
的物質的影響は、容易に癒し難きものであったらう。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 63
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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