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項目 内容
ID J0600016
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/04
和暦 文禄五年閏七月十二日
綱文 慶長元年閏七月十二日(一五九六・九・四)〔豊後〕薩摩・ 京都⇨豊後府内は津波襲来、瓜生島は沈没する。
書名 〔重祐重成伝〕○大分県
本文
[未校訂]同閏七月五日ニ重成内室始テ平産有リ同九日大地震シテ沖
浜ノ浦ヨリ潮ヲビタゝシクセキ上波立テ両賀屋シキ海中ト
成ル重成イソギ家ノ系図ト度々ノ感状ノ入タル挾箱ト持鑓
ハカリヲ取出シテ内室トタゝ二人家ノヤネヲ脇指ニテ切ヤ
ブリ二人トモニヤネノ上ニ居テ有リケル所ニ七尋ハカリ有
ル舟板家ノ上ニナカレカゝリタリ是ヲ幸ノ事ト思イテ二人
トモニ乗リテ有ケレハ引潮ニ沖ニ引出サレテアヤウキ事度
々有リシバラク有リテ波モ風モシヅマルト思フ時ニ小イサ
キ舟ヲヲシテ来ル者有テ此舟ニノラセラレ候ラヘタスケ申
ヘシト云ケレハ二人ナカラウレシクテイソイテ舟ニノリタ
リ書物ノ箱ヲモ鑓ヲモ取ノセテ此者ニタスケラレ行ケルナ
リシハシノアイタニ今津留ト云所ノ嶋ニ著ケルニ此所モ大
波ニ崩レテ人家モ見ヘスナリケル此所ノ氏神ニ天満宮有リ
二人トモニ爰ニ休居テツカレヲハラシケル内室ハ産ヲシテ
五日メノ事ナレハ取分労シテ有ナリ同十日ニ沖浜ヨリ吉右
衛門与右衛門九郎兵衛ナトゝ云家頼ノ者トモ尋テ来ルナリ
汝等ハ何トシテ助リタルソト重成問ヘハ崩レタル家ニトリ
付テ南ノ山ギハ迄大波ニ打寄セラレタルニヨリ則山ニ上リ
申テ候フト申残リノ者トモハ如何ニト問ケレハ大方助リ申
テ候ト云女ハ誰々コソ助リタリ亦タレニテコソ見ヘソウラ
ハズト申ス金銀ノ倉武具諸具ノ倉モ皆ツフレ候ヘトモ金銀
モ武具諸具モ不失申ト云重成先仕合ヨシトテ其日沖浜ニ帰
リケル先カリヤヲ立テ居ニ世間ノ躰ヲ聞ニ諸国皆一度ニ大
地震セシナリ扨重成危命助リテ世間モシツマリテ小船ヲ乗
リテ来テ助タル者ヲ尋ルニ我コソ夫ト云モノナシ是ハ今靏
村ノ天満天神ノ護ニテ助リケルトテ是ヨリ重成天満宮ヲ信
仰イタシケルナリ
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 4
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大分
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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