[未校訂] 瓜生島の陥没 旧記=府内に於ては、慶長元年七月十二
日未上刻、百雷の一時に落つるが如き鳴動南方と覚しき処
より響き渡ると共に大地震起り、建物を破壊し、土地に亀
裂を生じ、諸所に山崩ありたれども須叟にして止みたれば
稍々安堵せしが、同日酉上刻頃に海水大に鳴動せり、すは
津浪の前徴なりと誰呼ぶとなく一般に伝播し、又種々の迷
説起り、府民再び驚愕して取るものも取り敢へず、西東に
奔り南に馳せ山野に遁る、特に海岸の住民は勢家町の地比
較的高きを以て此処に避難する者多く、瓜生島の漁民も早
舟にて漕ぎ付け来り、又勢家に一禅寺の法蔵寺と称するが
ありて其の境内にも群集したり、暫くして河川・井戸等の
水はもとより時ならぬに海水遠く沖に退き干潟となること
数里の遠きに達し、瓜生島との間は徒渉し得るに至りし
が、半時ばかりにして忽ち山の如き怒濤漲り起り、瓜生島
を一なめにして、進んで府内の平野を襲ひぬ、斯の如きも
の一落一漲正しく週期を繰返し夜に入りて止みたり。