[未校訂] 天正十三年二二四五七月(日朔)大地震あり、外宮正殿の千木が頽
落した。〔松木満彦年代記〕同年十一月廿九日以後烈しい地震がつゞい
た。
廿九日の宵亥の刻、大地震人悉く家を去り走のがる。子
の刻弥大地震、人家数多破損し人数多死亡す。翌日の卯
辰の刻迄静ならず、病悩する者数知れず。巳の刻迄又地
震す。其日卅日は晩迄静ならず、夜をかけて夜半迄十余
度震動、丑の刻昨日の如く家もくだけ大地も響く程大地
震、男女又走逃れて大道に坐して夜を明す。同寅の刻両
三度、夫よりはゆり直す程にてさのみ震動なし。卯の刻
過ぎて又ゆら〳〵と一両度也。十二月朔日・二日・三日
打続き地震、三日以後同廿五日迄日夜震動、其間荒ゆり
三度、其外は少し宛也。前代未聞と云ふ。次の日廿六日
ゟ又ゆり続け、十二月卅日迄少し宛ゆる。翌十四年正月
廿日比迄時々少地震。三月十日乙亥鍬神事也、夕少地
震。同十一日朝卯ノ刻大地震、同夕戌亥の間少地震。同
廿一日昧爽少震、同早旦寅の刻大地震。右古記の中に見
当り、余り珍事成故本のまゝ記之。三月十日鍬神事は
二月朔日歟。天地開闢以来か様の地震は是計ならむ。宝
永四年後大地震はなし目出度事也。