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項目 内容
ID J0502391
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔宇治山田市史下〕
本文
[未校訂] 天正十三年二二四五七月(日朔)大地震あり、外宮正殿の千木が頽
落した。〔松木満彦年代記〕同年十一月廿九日以後烈しい地震がつゞい
た。
廿九日の宵亥の刻、大地震人悉く家を去り走のがる。子
の刻弥大地震、人家数多破損し人数多死亡す。翌日の卯
辰の刻迄静ならず、病悩する者数知れず。巳の刻迄又地
震す。其日卅日は晩迄静ならず、夜をかけて夜半迄十余
度震動、丑の刻昨日の如く家もくだけ大地も響く程大地
震、男女又走逃れて大道に坐して夜を明す。同寅の刻両
三度、夫よりはゆり直す程にてさのみ震動なし。卯の刻
過ぎて又ゆら〳〵と一両度也。十二月朔日・二日・三日
打続き地震、三日以後同廿五日迄日夜震動、其間荒ゆり
三度、其外は少し宛也。前代未聞と云ふ。次の日廿六日
ゟ又ゆり続け、十二月卅日迄少し宛ゆる。翌十四年正月
廿日比迄時々少地震。三月十日乙亥鍬神事也、夕少地
震。同十一日朝卯ノ刻大地震、同夕戌亥の間少地震。同
廿一日昧爽少震、同早旦寅の刻大地震。右古記の中に見
当り、余り珍事成故本のまゝ記之。三月十日鍬神事は
二月朔日歟。天地開闢以来か様の地震は是計ならむ。宝
永四年後大地震はなし目出度事也。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 151
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 宇治山田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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