[未校訂]入みち右所の分残らず流失いたし候其箇所の城山へにげ上
る者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れ
ども此所は山近き故多くの人死もこれ無く候、橋より北分
は町家多くいたみも之れなく候へども死人多くこれあり候
凡そ其の節両町の人老若男女共三千七百余人なり 橋より
向うの町一家も残らず流失其上屋敷土地尽く掘流れ一面川
になり、住居なりがたく助命の者皆々当浦へ相集り所の城
主藤原朝臣下野守元信公同宍喰村城主藤原孫六郎殿お取立
てこれあり
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項目 | 内容 |
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ID | J0502172 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1512/99/99 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1512/99/99 |
和暦 | 永正九年 |
綱文 | 永正九年八月(一五一二)〔阿波国宍喰浦〕津波 |
書名 | 〔宍喰浦旧記―宍喰村の内久保村古城成立旧記〕八月洪浪 |
本文 |
[未校訂]入みち右所の分残らず流失いたし候其箇所の城山へにげ上
る者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れ ども此所は山近き故多くの人死もこれ無く候、橋より北分 は町家多くいたみも之れなく候へども死人多くこれあり候 凡そ其の節両町の人老若男女共三千七百余人なり 橋より 向うの町一家も残らず流失其上屋敷土地尽く掘流れ一面川 になり、住居なりがたく助命の者皆々当浦へ相集り所の城 主藤原朝臣下野守元信公同宍喰村城主藤原孫六郎殿お取立 てこれあり |
出典 | 新収日本地震史料 第1巻 |
ページ | 128 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 徳島 |
市区町村 | 宍喰【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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