[未校訂]細江神社
(前略)
四百五十八年前明応八年八月大地震があったそうだ。大日
本地名辞書引用の「御湯殿上日記」九月廿五日の条「伝
聞、去月大地震之日、伊勢、三河、駿河、伊豆大浪打寄、
海辺二三十町之民屋、悉溺水、数千人没命、其外牛馬類、
不知其数云々、前代未聞之事也」とある。大地震に大津波
はつきものである。右の日記には遠州は記してないが、そ
の難を受けたものと想像される。即ちこの大津浪の為淡水
湖であった浜名湖から外海に通ずる川のあった附近の橋
本、日ケ崎、北山の部落のうち、橋本の宿は残ったが、他
の部落の土地陥没、家屋二千余戸が流失されと新居町の旧
記に記されてある。この流失部落の何処に在ったか不明で
あるが角避比古(ツノサクヒコ)神社があった。祭神は素
戔鳴尊(スサノオノミコト)であることは古記録に記され
てある。この社は湖口を守る神として湖に臨んだ所に鎮座
していたらしい、その社が右の大地震、大津浪で浜名湖に
漂流し去った。この御神体が気賀吉村の赤池の地に漂着し
たというのである。この時この土地の人々は赤池の北五十
間程の所に二間半四面の堂があったので、それを仮宮とし
て祭った。それで此の附近一帯を仮屋と今もいっている。
後永正七年(四四七年前)の頃、八王子観現境内(現在の
地)に遷し午頭天王(ゴズテンノウ)として祭祀を行うこ
とになった。(後略)