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項目 内容
ID J0502063
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔修訂駿河国新風土記下〕○新庄道雄(天保十六没)原著、益
本文
[未校訂]津郡上
古は今より土地も大なりしにや、風土記、和名抄に本郡に
収めたる地名今は志太郡に入たるもの多し、又明応七丁午
年八月八日、大雨、同二十五日の大地震にて、海水大に
涌、洪濤を起し、村里変じて海となる所多くして古を考が
たきもの多し、

法永も此事を異なりとして、不日寺を今の所に移し林双を
改め林叟院とす、今の山神石と云は則彼異叟の遺跡也、其
翌、明応七年秋八月八日大風雨、同二十五日大地震動し、
海水大に湧き、溺死する者凡二万六千余人、異人の言の如
く、果して林叟院の旧地、忽変じて巨海と為ると彼院の古
伝に見ゆ。
保福山、教念寺○焼津市
伝云、当寺開山観誉上人は相州鎌倉光明寺の八世也明応年
禁中雨乞の御祈禱あり召に応じて上京す。
帯郷の時にや然るに明応七年此浦海立近郷の里民溺死するもの数
千人、ここに溺死人の骸をあつめて骨堂と称し地蔵を安
置、又小院を建立して溺死人の供養をすとかや、今の教念
寺是也と云。

長谷川次郎左衛門尉政平屋舗蹟(長者屋敷)
在小川邑、長谷川氏先祖未詳大和長谷川の流か世々駿河益
頭郡小川居住今隷志太郡家富饒にて長者と称す、今川家の幕下
に属す、政平或云正宣、性文武才あり、連歌をたしなみ常
に宗長法師に会す。又仏法を信じ賢仲禅師を帰依して精舎
を郷中浜方に草創す。明応六年異人の告に因て賢仲暗に天
変を悟り政平に告て高草山麓に伽藍を遷さんことを謀る。
同七年秋八月海立果て溺死するもの二万六千余人、林叟旧
地巨海となる。同九年諸堂を坂本に建立す。政平永享五年
誕生、永正十三年六月朔日卒。
寿八十七歳、号林叟院殿扇庵法永居士林叟院に葬す。
長谷川氏今川義忠、氏親に仕
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 114
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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