[未校訂]応仁の乱の渦中に文明三年(一四七三)師の第二法子賢仲
繁喆は駿河国益津郡の地東海の古道を押える小川駅の長谷
川法永長者の招きに応じてここに一寺を開いたが明応六年
(一四九七)護法神の危難予言に、精舎を高草山下坂本に
移し、林叟院と命名した。翌七年秋八月、豪雨と洪水と大
地震が起り大津波のために旧地は海中に没し、死者は二万
六千人をかぞえたという。
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項目 | 内容 |
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ID | J0502060 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日 |
書名 | 〔中世大井国原考〕▽ |
本文 |
[未校訂]応仁の乱の渦中に文明三年(一四七三)師の第二法子賢仲
繁喆は駿河国益津郡の地東海の古道を押える小川駅の長谷 川法永長者の招きに応じてここに一寺を開いたが明応六年 (一四九七)護法神の危難予言に、精舎を高草山下坂本に 移し、林叟院と命名した。翌七年秋八月、豪雨と洪水と大 地震が起り大津波のために旧地は海中に没し、死者は二万 六千人をかぞえたという。 |
出典 | 新収日本地震史料 第1巻 |
ページ | 112 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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