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項目 内容
ID J0502059
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔駿河記十六〕▽
本文
[未校訂]伝云、明応中観誉上人は鎌倉光明寺の八世たり、時に某年
天下干魃、因て雨乞の祈禱の為上京す。然るに明応七年秋
益頭郡海立溺死する人夥し。上人帰国の時此郷に小院を建
立、溺死人の屍を取棄て骨堂を建て、亡霊の供養を修せら
れしと云。近頃まで田中に地蔵を建て其印とす。今は地内
に地蔵を移し建。

此村明応年間 会下島並に小川本郷の北田野辺三ケ名の辺
まで海水涌て狂濤入しと云。又慶長にも川成せしとて古堤
の跡処々に残れり。又筒井は五六尺掘ば水を得。水赤く濁
りかなけありて悪水なり砂こしにて用ふ。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 111
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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