[未校訂]寺田テラダ
丸子宿の東南につづきたる村なり(中略)又此村の山にさ
しむ山といふ所あり、此山の半腹に海浜の小石多し、古老
の伝に昔大津波の荒ありし時、此山まで波をうちあげし事
ありて其時の石なりと云り、今を以てみれば、海辺とは大
にへだたれども古へは大和田のあたりまで入海ありしとい
へば、ほど遠からず、いづれの年の事にや考べからず、も
しくは益津郡坂本の条にいふ明応年間の洪波の事にはあら
ざるにや。
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項目 | 内容 |
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ID | J0502058 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日 |
書名 | 〔修訂駿河国新風土記上〕○新庄道雄(天保十六年没)原著 |
本文 |
[未校訂]寺田テラダ
丸子宿の東南につづきたる村なり(中略)又此村の山にさ しむ山といふ所あり、此山の半腹に海浜の小石多し、古老 の伝に昔大津波の荒ありし時、此山まで波をうちあげし事 ありて其時の石なりと云り、今を以てみれば、海辺とは大 にへだたれども古へは大和田のあたりまで入海ありしとい へば、ほど遠からず、いづれの年の事にや考べからず、も しくは益津郡坂本の条にいふ明応年間の洪波の事にはあら ざるにや。 |
出典 | 新収日本地震史料 第1巻 |
ページ | 111 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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