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項目 内容
ID J0400984
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1862/06/06
和暦 文久二年五月九日
綱文 同治元年五月九日(西曆一八六二、六、六、)臺灣嘉義地方、大地震。民屋倒壤數千、壓死千餘人、地裂ケ泥水ヲ噴出。十一日再ビ大地震。
書名 ☆〔日本名勝地誌〕○島田定知著
本文
[未校訂]臺南。同治元年五月十一日ニ大地震アリテ城樓、城垣、女墻、
寓鋪等大半破壞シ、修繕工事容易ナラザリシカド、專ラ堅固
ヲ期センカ爲メ磚瓦ヲ以テ之ヲ修理シ、同九年修工セリ。光
緖元年巡臺使沈葆禎奏シテ國庫金ヲ費シテ重修スルコトノ許
可ヲ得、再ビ大修繕ヲ加へ遂ニ今日ノ壯觀ヲ致セリ。
嘉義。同治元年震災ノ爲城壁大半崩壞セルヲ以テ之ヲ修繕シ
光緖十五年更ニ修繕ヲ加へ壁外ニ荊竹ヲ植ヘタリ。是レ即チ
現在スル所ノ城壁ナリ。
出典 日本地震史料
ページ 744
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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