[未校訂]「安政二年〇三年の誤でした六月〇七月の誤の二十三日に強震があつ
てそれから每日のやうにつゞきました。山がごう〳〵と鳴り
出す。さうするとゆら〳〵とやつて來る、イヤもう大騷ぎで
した。」
「夜などゆり出すと、とても家の内に寢かねて、外に梯子を
置いて其の上に戸板などを載せて休んで居るものもいくらも
ありました。」
「戰々兢々安い心も無くて過して居ると、丁度一週間六月二
十九日の眞晝でした。山が一きは高くごう〳〵と鳴りだし
た。今ならば飛行機といふものがあつてごう〳〵と鳴つても
來るが、その頃はそんなものも無い。只もうそら又地震がと
いふ騷ぎ、間もあらばこそ大激震がやつて來た。」
「走せる、轉ぶ、叫ぶ、泣く、いやもう恐しいとも何ともた
とへやうがありませんでした。」
「損害ですか、損害といへば大屋の土藏、さうです中佐井の
大屋です。其の頃は家の正面にありましたが、その土藏が倒
壞しただけで、其の他は轉んだ所もありませんでした。壁の
落ちたのはそれは澤山ありました。壁が落つると土煙が立ち
のぼつて火事のやうに見えました。」
「龜裂した所がいくらもありました。中にも[下|しも]の林檎の木の
下が二尺ばかり口が開いて五間ばかり裂ける。大坂の下なん
どは十間も續いて口があきました。」
「後では、草を刈つて居たものが鎌を持つたまゝ轉んだとか、
圍爐裡にかけてあつた汁鍋がみんなまかつてしまつたとか、
何處の鴨居が外づれ落ちたとか、家が曲つて戸障子が動かな
くなつたとか、色々の話がありました。地震は地面ばかりで
無く空の方にも感ずるものと見えて、鳶が舞ひ落ちて田屋の
家に迷ひ込んだといふ話もありました。最も直ぐに逃げて行
つたさうですがね。」
「其の時年寄達が、昔に大地震があつて坂の便所が崖から下
の道に轉び落ちたことがあつたが、その時よりも今度は強い
などゝ、話したことを聞いたのが耳に殘つて居ります。」
「私は八十三になりますが、其の間に強い地震に何度も逢ひ
ました。しかしあの時の地震に比べるとみんなお話になりま
せん。あんな恐しい地震があの後二度とありません。」
右は大正十三年十二月二十三日に小山田佐吉爺さんに聞い
た談で、其のまゝこゝに載せたのである。東山誌。