[未校訂]本朝地震之次第、
夫地といふ文字、往昔は[地|ち]に作る、是會意なり、史記、漢
書に[墜|ち]に作る、震は動なり、又怒なりともいへり、天は動
て四時をなし、地者靜かにして萬物を養ふ、しかりといへ
共、天は左にめぐり、地者又右に旋りて止ず、たとへば人
船中に在りて窓を閉て坐すれば、其船のおのづから行をし
らざるが如く、此故に天も動き地も又循環してそろ〳〵動
くものなりといへり。但地の體は北を陽とし南を陰とす、
山嶽多くは北にあり、天の體は南を陽とし北を陰とす、ゆ
ゑに日輪は南に行る、是天地圓渾相つらなりしかたちな
り、されば古語にも地壹尺減ずれば則一尺の天を生ず、本
來無面目、南北何れの處にかあらん。猶鷄卵の黃なるがご
とく、其形圓滿なるが故に是を地球といふ。その周り大方
は皆九萬里といへり。又諺に六海三山一平地といへり、是
海者十分の六分、山は十分の三分、天十分(六字衍カ)の三分、地は十
分の一、是故に地をもつて地の字とするは、其會たる意な
り。されば地震するものは、陽氣陰の下に伏して陰氣に迫
り昇る事あたはず、於是地裂動き震するに至る。これ陽氣
其所を失ふて陰氣塡る〻故なり。又地中に蜂の窼のごとき
穴あり、しかして後水潜り陰氣常に出入す、陰陽これにて
相和し、其宜を得るを常とす。もし陽氣とゞこほりして出
る事不能、歳月を積重るに隨ひ、地脹れ水縮るゆゑに、
井戸涸れ、時候殊の外熱氣なり、これを譬ば餅を炙るに火
の爲にふくれ起るがごとし。將に地震ふ時は蒼天も卑くな
り、星も大さ常に倍するといへり。是地昇り天降るにあら
ず、既に雨ふらんとする時は、山を見るに甚だ近く見るが
如し。陽氣陰を伏し地を裂て天に發出するが故に、地中震
動す、是則地震なり、其始震ふもの甚だ猛裂なり。是地中
の陽氣一塊に發するの證しなり、又次に震ふものは綏な
り、是さきの陽氣地中に殘れるが、少しづ〻發出のいはれ
なり。されば一天中の世界なれ共、中華にふるひて本朝に
動かず、日本震ひて唐土また動かず、一國中にかぎり他國
に出でず。或は江戸靜にして浪花に震ひ、大坂豊にして京
都動く。是地中の陽にて地脹る〻と脹れざるとの故なり。
地中に凝し陽氣其所ゟ發せんとする故に、甚だしきものは
地裂山崩る〻こと往々これあり。一村にありても其邊の多
少あるは、是又地の堅きと堅からざるとの故なり。凡初め
て大に地震する時者、海汀に泥涌上り、津浪山のごとくさ
かのぼる。奧州の洪水、遠州今切など是なり。又大地震の
後、月をかさねて震ひやまざるは、いまだ陽氣の出盡さゞ
る故なり。その甚きものは山燒出るといへり。されば我朝
往昔ゟ地震を考ふるに、人皇の始め神武天皇在位七十六年、丙子三月十一
日崩ず 御年百廿七、より三百九十餘年を經て、人皇七代孝靈天皇、
在位五十七年、丙戌二月八日崩ず 御年百二十八、
同五年乙亥六月朔日、近江國の地、一夜にさけて湖とな
りたるを、琵琶湖と名づく、同時に駿河の國の地中一夜
に涌出し、豆相甲武の四州に震動する事夥し。然してゟ
高地となり、後に富士山と號す。○以下允恭天皇五年以降ノ地震ヲ列擧シタレド
コ、ニ要ナケレバ略セリ、
安政二年乙卯十月二目、江戸大地震、●印夜○印晝
●四時●四ツ過、●九ツ半、●八時、●八ツ半、●七ツ過、●同、
●七ツ半、●同、三日○九時、○七時、●五時、●四時、
●八時、四日○八ツ半、○七ツ過、●九半、●九半過、●八過、
五日○六時、○八時、●六半、●九時、●九半、●八時、●七時、
●七過、六日○六時、○四時、○七時、●九時、●八時、●七半、
七日○四時、○七時、●六過、●五過、●九過、八日○七半、
●六過●九半、●七過、九日○五時、●四過、十日○六時、
●六過、十一日○八時、●四過、●九半、十二日○八半、
十三日○五半過●四過、十四日○四過、●五半、○七時、十
五日○七時、●七時、十六日○六時、○八過●四時●九時、
十七日○八半、●四過、●八時、十八日●九過、今夜雷雨、
十九日●六過●四時、廿日●八半過廿一日○六時、○五時、
廿二日○五半、廿三日無、廿四日●五牛、廿五日○七過、
廿六日○七過、●八過、廿七日○九過、廿八日●四時、廿
九日、晦日なり、●四時、晝二十八度、夜五十二度、都合八十度、