[未校訂]○前略而して晝八ツ時比沖合震動して諸方鳴渡り、天地も碎く
るばかりの大地震、前代未聞の大變となり、瓦屋根は瓦飛散
り、地中一園に破れ、七ツ時に津浪となり、人々は命から〴〵
山上に逃げ登りたり。濱先の家々數百軒、土藏に至る迄黑煙
立ち、土石を飛し、將棋倒の如く、殘るは漸く土藏四五軒のみ
凡汐の高さ三丈餘、又山々の麓へ指込みし汐先は五六丈とも
見えたり。元來津浪は大海の高潮とも見えず、出羽大島の岬
又は濱先より起り、地中よりは水を吹き出し、流失人廿餘人
に至る。其夜寒氣強く夜四ツ時比復々沖間鳴り渡り大地震出
し、夜明迄十四度に及び、且津浪上りたれども夜中故見えず
翌六日何れも流木を拾ひ來り小家掛をなしたれども、水少し
もなく、谷口又は田地の緣にて泥水を汲み來り渴を凌ぎたり。
然るに二三日經て、御上より粥の施行並に一人に付黑米二合
宛二十日間救米ありたり。其後時々少震止らず、故に八九分
通りは山に越年したり。此大變の爲大家は孰れも土藏にしま
ひありしを以て大損害を蒙りしも、貧家に至りては何一つ流
失せしものなく、却つて多くの拾物をなしたり。依つて年立
つに隨ひ元の如くなりたり。其後御上樣より漁師へは船網の
拜借浦々共仰付られ、又一兩年を經て建家料として重なる漁
師へ銀札四百目、中漁頭は三百目、舟方へ二百三十目、小商
人は二百三十目宛浦々共拜借仰付らる。且つ御繩張有て、頭
立商賣人屋敷七十五步より六十步、五十步、三十步、二十步
漁師船頭へ三十步、舟子一円に拾貳步半宛割付に相成り、津
浪以前に求めし屋敷は御取上となりたり。且又汐入地は五ケ
年より三ケ年迄免租となる。其上濱先に數百間の浪除堤出來
たり。西浦分人家二百餘軒、土藏納屋又は漁船商船類に至る
迄、東浦同斷殘らず流失、又中村の内五六十軒ばかり流失、
出羽島人家六十餘軒、其外納屋漁船網類流失、其内居宅十五
六軒ばかり殘りたり。大島家數二十軒餘、此處は小高き場所
故、汐先漂ひしばかりにて一軒も怪我なし。東浦人家四百餘
軒、其外土藏納屋共棟數六百餘軒ありたり。○中略
牟岐の濱は安政の海嘯以前迄美麗なる小砂の濱なりしが、津
浪の結果現在の如き小石の濱となれり。郡代高木眞蔭なる者
津浪に鑑み町区改正を斷行せり。東浦の整然として道福廣き
は是れに依る。