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項目 内容
ID J0400279
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(西曆一八五四、一二、二三、)九時頃、東海・東山・南海ノ諸道地大ニ震ヒ、就中震害ノ激烈ナリシ地域ハ伊豆西北端ヨリ駿河ノ海岸ニ沿ヒ天龍川口附近ニ逹スル延長約三十里ノ一帶ニシテ、伊勢國津及ビ松坂附近、甲斐國甲府、信濃國松本附近モ潰家ヤ、多シ。地震後房總半島沿岸ヨリ土佐灣ニ至ルマデ津浪ノ襲フ所トナリ。特ニ伊豆國下田ト志摩國及ビ熊野浦沿岸ハ被害甚大ニシテ、下田ノ人家約九百戸流亡セリ。當時下田港若ノ浦ニ碇泊セル露國軍艦「デイアナ」號ハ纜ヲ切斷セラレ、大破損ヲ蒙リ、七分傾キトナリ、後チ遂ニ沈沒シタリ。震災地ヲ通ジテ倒潰及ビ流失家屋約八千三百戸、燒失家屋六百戸、壓死約三百人、流死約三百人ニ及ベリ。翌十一月五日十七時頃、五畿七道ニ亘リ地大ニ震ヒ、土佐・阿波ノ兩國及ビ紀伊國南西部ハ特ニ被害甚大ナリ。高知・德島・田邊等ニ於テハ家屋ノ倒潰甚ダ多ク諸所ニ火ヲ發シ、高知ニテハ二千四百九十一棟燒失シ德島ニ於テハ約千戸、田邊ニテハ住家三百五十五戸、土藏・寺院等三百八十三棟ヲ灰燼トナセリ。房總半島ノ沿岸ヨリ九州東岸ニ至ルマデノ間ハ地震後津浪押寄セ、就中紀伊ノ西岸及ビ土佐灣ノ沿岸中、赤岡・浦戸附近ヨリ以西ノ全部ハ非常ノ災害ヲ蒙リタリ。津浪ハ南海道ノ太平洋岸ヲ荒ラシタルノミナラズ、紀淡海峽ヨリ大阪灣ニ浸入シ多大ノ損害ヲ生ゼシメタリ。震災地ヲ通ジ倒潰家屋一萬餘、燒失六千、津浪ノタメ流失シタル家屋一萬五千、其他半潰四萬、死者三千、震火水災ノタメノ損失家屋六萬ニ達セリ。
書名 ☆〔地震物語〕○森田無絃著
本文
[未校訂]無絃は森田節齋の妻である。節齋は大和國五條の人で、賴山陽に
學び、また吉田松陰を教へた。無絃は幼い頃天然痘を患つて容貌
は醜くかつたが、節齋の薰陶をうけ和歌俳句はもとより漢詩も能
くし當時海内第一の女學士といはれた。その著「地震物語」は安
政元年十一月の大地震に關する記事で與田左門氏の家に傳はつて
ゐる。本文はその寫しである。
地震物語叙文
住昔寬文壬寅年地大震、今滋嘉永甲寅十一月地又大震、當時
僧了意者著要石一卷詳記其事、今栞女史著此書記當今之変、
巨細無遺可謂敏矣。鳴呼古今之二大変、皆在寅年、己奇而記
其事、此一在緇流、一在女流、是亦一奇也。雖然、緇流能文
不足異、女流而能文如此、是世之所以希是也、況才學兼和漢
乎。感歎之餘、題暇語於其卷首。
嘉永甲寅暢月八日
金芝園主人 林辰□□
地震物語
森田無絃著
我住國なる大和にとりても五條あたりの靜さは南に御嶽あり
北に葛城あり、花に吉野月に高まと畝火香具山は何かたの帝
の御ながめに氣色深く、落草の春に媚き三笠に趣をしめす。
いづれ山跡のやま住は、實にうき身の隠れ里ならむ。海に遠
きは恨なれども、風波に破船のいたみを知らず。釣する蜑の
いとなみ見ざれば、鹽やく辛きつとめもあらじ。かゝる所得
たるぞ命ののぶる心地するなれど、常に語り居らるゝあるじ
の言は、いかなるか辨へざれど、大かたゆへあるならめ。さ
るを今としまがつみの神やまつはりけむ。水無月の半ごろ、
思はぬ夜中地のうごきて、蒼生は限しられず枯行さへあるに
またもやあらき波たちて、千ひろの鰐魚のたゞよひ來り、浪
花浦邊の芦の假寢の一夜の夢を、結びかねたる人の噂、ちま
たのはなしもきのふと過て、やゝおだやかに神なし月の時雨
して、軒の玉水氷り初めたる冬もなかばの空に、また知られ
ぬ物の降る夕暮、草の扉を音なふ人あり。あるじの姪童出で
いかなる事を訪來ませる。父は他に行き母は病に臥たり、煩
はしき中留べくはおぼへず、重ねておはしませと斷りぬ。こ
は定まり詞なるに、彼旅人いふ。おのれさる事ならず、遠く
東より來り侍る心、先生を思ふのみなり、宿かり鳥の寢ぐら
には迷はじと答ふる中、主一間より出で、いかに勞れ玉はめ
此方へ揚り候へ、東國はいかゞ聞たしとあるに、此男いふ、
やつがれは駿河府中のものにて醫をわざとなし侍る、西遊の
次ながら、尋ねまいらすといらへけるに、主さらば文や出し
玉ふ、から歌やいかにとありしに、否さるむづかしき事は迚
も及び侍らず、俳諧の發句ならば人並に連ね侍らむ、夫も炭
俵の調を家流におゐて尊み侍るなり、蕎麥切と美濃風、上方
の口に合ずと嚙出さるゝ類にもあらずと事々しく云なす。折
から入相の鐘告渡るを、あら寢ぐらをわれにおしえ玉へ、翌
こそと歸りぬ。其夜主いはるゝやう、汝知らずや此ごろ北姓
消息して、彼の吉田なる者ひと屋の住居ゆるされて、親族許
下りおりぬ。こは公の惠みながら、尚外人の助ありてのよし
あらましをしるし來りぬ。中に西國の士永島三更とて文武の
達者あり。殊更繪にては關西に人なしといふなるが、頓て家
を訪來るやう先日約したるぞかし。必其人ならむと、まだ見
ぬ花のなつかしさに出て對面せしぞ、且兩刀を橫へ美服を着
せし好男子、誰か名あるものと思はざらんや。汝にしてもさ
とれかしと笑はれぬ。こは門下三奇士の中安生東の露と消へ
江氏陸奧の土とならば、只この吉田某ぞ、罷ならぬ罪に沈み
しが恨なれと、語られし事ある故なり。扨其夜もあけて、炊
ぎすまし晝も近しと思ふ頃、怪しき物のひゞきして、又もや
ゆるぎ出したる、地のひゞき凄ましく、庭のやり水ゆり盈さ
れて、時ならぬ水潦をなし、空さりげなき月すがたは、賴政
の歌も思ひ合しならん。棚なる調度手を用ひずして落下り、
斗のごとき膽、事は逢ずして胡麻粒にひとし、病人のおそる
ゝを、乘物もて川原にもたげいだし、夜の物虎子たらゐ迄も
運び出すぞこよなき煩なれ。門外は老若東西に逃まどひ、女
童南北に泣叫び、今や泥利の底に沈むかやと思ふばかりなり
しが、須臾にしてやゝ靜まり各心を安し、夏のさはがしき噺
をして、奈良郡山はいかに有りけん。今のほどはなかりしな
ど口々に喧し。かくてあるほど、昨日の夕さりたる男入來り
て、此所に數日の逗留も、前刻の地震によりてかなひがたく
侍り、わざと尋ね來し物をいと殘念なり、さるからに道すが
ら口すさびを聞いて玉へ抔云つゝ、紙筆を乞ひ、首を傾け墨
を詆り、やうやくしるし出せしを、主取りて妾にしめさる。
見れば前書ありて、
むうに咲く梅の香ひは他に洩れて
鶯が來て、ほけきよと鳴や、冬の梅
是なん片歌のかた云なりけり。妾時に側より其假名を冠にし
題によりて十七文字をならべ、彼が口を塞させて宿りへ返し
ぬ。此男俳名を東奴といふにて、よし田江はたにゆかりある
文字にあるなれば、よき便り聞うらかたにやと笑ひぬ。
夫かあらぬ、ふる舞しるき、さゝ蟹の
晝間過して、來しかうたてき
斯て其夜は震のおそれにて、人々皆川原の小屋に夜を明かし
家は只あるじと妾ばかり殘り居るに、ふけゆくまゝ雪降り出
て、小兒共の寒がるを負歸りて、火にあたらせ、物したゝめ
抔させて、曉になりぬ。戸明れば庭もせは玉をちりばめしご
とく、亦しろがねを散せしに似たる雪のながめ新し。
物は皆、きのふと過て、今朝の雪
眼前の好風景、たちまち心のおそれを退けつゝ、やゝ人の氣
も靜まりし折から、案内して入來る者あり。是則ち主兼てよ
り待るゝ永島姓なり。相見の禮濟て後、海防の諸策を談じ、
猶委細に吉田生のふる舞を告ける中に、金を贈り刀を換へし
朋友のまことはいはず、橫濱あたりを鰐のあれ渡り、人多く
是が爲なやまさるゝを、此兩氏見るに忍びがたく思ふほどに
吉田生扼腕にたへざるにや、既に白虹をひらめかせて、紅雨
をそゝぐべきけしきを推し、いく度袖をひかへつゝ、匹夫の
勇を留めたる樣、大方ならぬ義氣を聞にぞ淚落すばかりなり
志の大なると誠のいたるところ、人を動かすに足るものなら
め。其旅やどりの有さまを聞にも、夜な〳〵外に出ての次第
を、もしやあやしく推せられんかと、ともにはかりて、今津
女の色に溺るゝさまに取なし、忍ぶのうらの見る目刈る、あ
こぎが磯に引あみの、度かさなりし迚、戀にはゆるす習ひを
と、見せし其苦心、筆にいはすべくもあらず。さらでも永島
姓は妻子ある身の、殊に仕へる君ある人にて、命をこゝに輕
んずる、實に國の爲め其主を思ひ、親のため君恩を忘れざる
ものならめ。さらずばいかで家を離れて、いく度まどかなる
月をながめ、寒さ暑さの衣更して、限りしられぬみちのく、
千賀の鹽がま狹布の里、胸あわぬせば布に、一身を掩ひする
菰の、ひやつく夜半も草枕、丸寢がちなる夢の中には、時有
てひれふる妹をも見なん。又は月の出やらぬ松に付ても、其
下蔭に生そだつなる撫子も、なつかしからめ、去る恩情を割
きたるを、眞のますら雄といひなん。
もものゝふの、矢たけ心の、一筋を
折かへすべき、ことの葉ぞなき
風蕭々と塞かりし、易水の別も思ひやられて、
草摺に、霰たばしる、なみだかな
かくて兩士志をあはせ、鰐すむ國へ渡らばやと、さま〴〵の
手だてをめぐらし、永島姓はむさしへ越え、吉田姓は後に殘
り、船筏の備へなす中に、書きたる文を鰐に投じ、又は小船
を借りなして、速に事をなさめとはかりたるこそ、祭文にて
退けたりし潮州の刺史にまさるべきや抔たはむるゝに、夕近
くなりぬ。今宵の宿りは東隣の井澤氏こそ靜かにてよけれと
て、主まれ人を誘るゝにぞ唐にしき、たゝまく惜しき筵をた
たみて、いとまつげつゝも出ぬ、持つべき調度、史記あるは
海防の書物など、したゝめつゝ、みなとするに、我腸ちぎる
るばかりなり。
鳴呼又も、今宵霜夜の、ぎり〳〵す
扨跡かき拂ひ、夕かしぎなすにも、しかなる物がたりせらる
るやらむ、とやかくやと思ふほど心くるし。
神なみの、山時鳥、こゝろあらば
我住む宿に、魂かへしなけ
此日は霜月五日空晴れわたりて、のどやかなればとて、晝の
中にやめる人を家に迎へ、其事彼事いと煩はしき迄なりしも
やゝ靜まりて膳に向ひ、箸とりて恙なきを悦ぶに、豈はから
んや、動搖ふたゝび甚しく、壁を崩し屋瓦を飛せ、暗々朦々
として黃塵起り、昨日のさわぎに泥利の底と思ひしは物かは
坤軸も今や折るゝならんと、いかなる妾も覺え侍りぬ。さる
から病人の側に居たる限り、駕よ、しき物よと、のゝしり、
早とく河原に行けかしと、立さわぐさへ、是たゞ文字をうつ
すが如し。病む人の心細さ、いかばかりなりけん。かゝへ居
る身もともに震されて靜ならず。とかくしてやうやく援け出
しぬ。其狼狽しるすもうたてし。扨例の小屋がけしつゝ、夜
の物はじめ、取納めたる限出したてゝ運ぶ人なし、とかくし
て、主のおとゝ君 わらはとして、いるべきほどの器を小屋
に送る、草履もはかず足袋のまゝにて、たつみの坂を下り登
り、幾度か石につまづき、畔道に辷りなどして、日くるるに
震なほやまず。あがた守は非常をいましめんと、人々を出し
たて、自も下知しつゝ、おごそかに廻り玉ひぬ。家は物打か
へしたるまゝ、納むべきいとまあらねば、疊のうへに土砂の
つもりしを、土器の粢まろひ合て、安倍川めく餅に似たり。
來り助ける人なければ、門の戸さしもせで、土間に灯ともし
たる、大昔しの穴居もかくありけんと、悲しき中におかし。
雪はふり、ふるき都の、昔ぶり
主のおとゝ君、歸り來ましてのたまふは、御身もとく川辺に
のがれ候へ、家のことは思ひ忘れよ、兄のことは大丈夫と伺
ひ、餘地ある方に居らるゝなれば、胸をいたむる事けして有
らじ、早く〳〵とうながさる。妾時に器皿を滌ぎ、火の元に
心を用ひて、只々うれひいひぞといふ。かくて米薪までも殘
りなく持出して後、伯母の娘なる人を賴み、主の居らるゝ栖
を教へ玉へといへども彼人いふ、御身此地の西東とても知ら
ず、爭かかしこに到りぬべきや、意にかけずして早く河原に
來り玉へかし、[浮雲|あぶなき]にと諫めらるれど、死生患難をひとしく
すべき方は外に在すを、いかに我ひとり所得て何かせむ。師
命こと〴〵く此所にあり。君にもとるはゆるし玉へ。御身は
御父母君をはじめ姉ぎみを守り玉へ。妾は一にしたがはんと
て、主の刀をたばさみ、家の紋付たる外套なして、早戸の外
に走り出るに、さ思ひ玉はゞ、わが身道芝の露拂ひ參らせん
と有るを辭しぬれど聞入れず。人の情けのうれしくて、彼方
へのがれ行ぬ。道すがらのさま尚哀深し。練塀の崩れたるを
早く打過したる寳滿寺迚家の賴み寺なり。用水は溢れ流れて
海に入るべき勢あり。又門々は物打敷きて歎き語り合ふなど
論に及びがたし、とかくして此屋こそと指教へらるゝ。其時
の嬉しさ誰か是を知らんや。趨り近きて門たゝき、夫に誰が
おはす、主の刀持て參りしぞ、取次て玉へと喘ぎ〳〵いふ。
時に内より何故ぞ此中へ女の聲の怪しきに名のり候へとある
にぞ、少々こゝろゆるみぬ。そが中に是必ず彼ならめ、内に
入よかしといふ聲す。心やうやく定まりて、事なきを悦び、
又思ひかへして身を顧れば、一言主の神の姿をあらはせしか
亦[黃泉|よみづ]しこめが雄神を追ひまひらせしか、天りの粗忽なるに
取亂したる髮は、風にちらけて蓬に似たり。いかでか人に見
えなんと、我からはづかしさ限りなし。
なき跡の、名こそ惜けれ、おしからぬ
身は道のべの、霜と消ゆとも
思ひつくるほどに、伴ひくれたる人の歸りなんといふ、留む
れど留むらすべきやうなきに、此家の内君迎へ出て、まめや
かにもてなしつゝ、かしこへ到り候へ、あやうきにと進めら
るゝにぞ、
花よりも雪にはづかし、燭の影
彼むしろに連りしは、此家のあるじと、今日の來客なる永島
姓と、妾が主人なり。いづれ杯をあげて兵を談じ、盟をなし
て、昔をしたふ桃園の趣きありしも、かゝる變に合ぬれば、
只其噂のみして、野菊の畑を踏あらし、肉を炙り酒をあたゝ
め、鐵腸を肥されぬ、時に主いはるゝやう、即今口占あり汝
も聞べしとて、
天鳴地響乾坤暗、方是奇男來訪時
さはがしき中外を略したり。家人皆無事なりやいかに、よく
刀を忘れざりしといはるゝ。是なん意外の事なりき。其故は
内にあるべき者の外に出しのみか、稀有の姿にて夜步行せし
我からよしと思はざれども、かゝる時に叱らるゝは覺語なり
しと思ひしを、かく聞ていとゞやる方なし。
常ならば、何ふむべきや、夜の落葉
かゝる中、幾度かゆり出すにぞ、人々安き心もあらず、今は
東淨寺にやうつり行ん、あやうきにとて、此家の夫婦とも隣
寺えゆきて宿りぬ。跡には立入の男二人と、幼き婢女のみな
り、永島姓は草臥たりとて寢入ぬ。妾が主人醉たれ共枕によ
らず、灯に道照させて來りし、行くべき方ありといはるゝぞ
あやし。妾時に思へらく、是定めて法を犯せし夜行をもて、
きと罪を糺さるゝならん、よしや刀下の鬼となるとも敢て怨
あらず、國を離れて來りしより、既に四月に[垂|ナン〳〵]たれども、い
まだ顧見の禮にいたらず。舅姑のおき土を拜せざるこそ殘り
惜とばかり思ひて、後にしたがひて行きぬ。
おく霜の、うへを羊の、步みかな
ほどなく他城のあたりに近けば、白楊の風いと塞く、頓て骨
解く身と思へど、腸廻らざるにもあらず。扨主人ふり返りて
是なん極樂寺とて亡父母兄たちの在す所なり、初めて拜をな
せとあるにぞ、愕然として心中大におどろき、有がたさいふ
ばかりなし。
松風も、なほなつかしみ、かぞいろの
苔の下にし、いますと思へば
さらぬだに、濡るゝ袖の、ぬるゝ哉
よるべなき身に、よるべあればぞ
禮濟て歸路、けふの震にあれたる跡を通りて、
起たつは、夢野の麻と、ねぎ畑
彼の井澤氏の宅に歸れば、夜深くなりぬ。地のゆるぎ益〻甚
しく、終夜やみがたし。心ゆるせぬ事ぞとて、うまいせし永
島姓をゆりさまし、さま〴〵の物語りして、曉近くなりぬ。
殊更禰らしき宿りなれば、日高く昇るまでも臥處にこもり在
るほど、又もや震出したるに目さまし、口すゝぎて居るほど
に、あるじもうけなして酒酌かはし、宵のはなしの緖を繼ぐ
うち、主永島姓を送る詞出せよ、例の拙きはゆるすとあるに
否ともいはれず。先其人の妻子のうへなどつばらに尋ぬれば
彼人いふ、やつがれが妻を嘉壽子とて、今年十九になりぬ、
十四にて迎ひとりしが、男子ひとりうみて後、其子とともに
痘を煩ひて、花の顏は松のあら皮に似たり、不幸いふばかり
なし、夫より後又一人子をもうく、是も男なり、烈女傳をよ
み且和歌をよくすなり、僕が別れを惜む時の言葉あり、
別れては、いとゞ思ひの、ます鏡
曇りなかけじ、朝な夕なに
君はいま、むさしを越へる、奧の山
道ならぬ道に、踏な迷ひそ
今に耳に殘りぬとて語らるゝ、其心思ひやられて痛はし、古
の人の塞衣を贈り、遠征の夫をこがるゝ、かく歌にのみ吟じ
なれて、眞のあはれ知らざりしも、今としはからぬさちあつ
て、わらは九歳ばかりの折、主に師のもとに見え參らせし後
はたとせほども戀たりしが、高根の花の及びなきをかこち、
世をはかなくもくらせしが、願かなひて兄に離れ友に別れて
踏なれぬ、あし引の山跡に來り嫁せしより、見る限り、知ら
ぬ人を親しみつゝ、河のほとりにはえまつはる、蔦かつらと
ぞ思ふなる。それは塵に住せながらも、より〳〵の鄕夢、然
をなさゞるにあらず。さるを花草のうら若きとし頃にて、其
夫を族だゝせ、且志をはげまして、尚つとめしむることの葉
ぞ、けなげなる、よりて籬の蔦の古事をつゞりて、此人に送
り、尚浪花津にいたり玉はゞ、ゆかりの色のなつかしき、藤
澤翁を訪玉ひて、こゝに恙なしと告玉へかしと賴みぬ。
かゝらずば、かゝらざらまし、君がため
ひとしほ染し、○引の絲(○は雨か)
午時過て、主は永島姓を伴ひ、集會所なる旅舍にゆかれぬ、
妾はくるゝまで此處にありて、越し方行末をかたらひつゝ、
暮過てしるべの人につきて、彼宿りを尋ね、主と共に歸れば
空家にひとし。内に入り灯をともして、たゞ二人夜を守る斗
なり。
曉方の、霜とも消へず、ぬくめ鳥
地ます〳〵震ひたちて止むべくもあらず。今はとて、明け前
に灯ともして、再び彼の東淨寺にいたり、枕につく、意をし
づむるほどに、門通る人の浪花の事をはなし行が、耳にいり
て胸ふさがり、來る人ごとに、大阪の事や知らせ玉ふと問へ
ば、先あらましを語る男あり、それのいふ。おのれ一昨日の
くれ歸村さし侍り、地震は大阪の方なほはげし。西成の華表
くだけて人を損し、小家忽に崩れしより、火をあやまち、延
燒凡そ數百軒に及ぶよし、聞て膽つぶれぬ。
遠方や、雪も時雨も、片だより
次だひ〳〵に聞ゆるやう、五日のくれ前、雷のごとき音のせ
しぞ津なみなるよし、二里ばかりも岡にのぼり、船ともは元
より、人の死たる數、はかりがたし。およそには三千餘とい
ふなる、其こと〴〵に驚かれて、
夫ときけば、山の端に入る、月までも
暗きに沈む、思ひとぞ知れ
あまつさへ、紀の國志摩の國なども、甚しき波たちしよし、
又も歎かれて、
鯨よる、おもむき見えて、片男波
身のやすらかなるほど、心なほやすからず、いかになりゆく
世の中ぞ、とかく此まゝに日數つもらば、便なき者どもの、
いかゞせましと思ひ巡らすにも、妾は主の惠みに寄て、身を
金の芝に安し、文しるし日記しておだやかなる、紫女のいし
山にこもり、鳰の入江の月影に、心を消せしいにしへ人の、
風流をうらやみ抔すなる、いかゞあらん。
霜に臥て、知るや昨日と、けふの是非
假の宿りのいつ迄かゝりがたし、東飄西泊元より覺悟せり。
我をまつ、土やいづこと、雪の旅
日を經るまゝ、やゝ靜になり行ならめと、思ひとりて、只墨
池に釣を下し、心をやしなふ折柄、隣寺の上人訪來まして、
此書きちらせし反古どもを見玉ひつゝ、國風一首を賜りぬ、
其こたへとて夷曲をつゞり、わづかに愁をうつし侍る。
いにしへの、鳰の入江は、いざしらず
硯の海に、やどす月かげ
さるまゝ尚さわがしくて、門前の人聲絶間あらず、實に奇變
の事なるかし。され共此鄕は、昔より仁惠のあがた守多く來
たまひて、下にいたるまで、いつくしみあらざるなし。こは
家主の記されし眞字ふみ景賢錄にあらはしたる、矢島君にお
さ〳〵劣なき、今の君にしあるなれば、必ず囊を開き賑くぬ
るもあらん。其時を待るゝこそ、せめての心やりならんと。
待るゝや、冬枯草に、春日影
嘉永甲寅仲冬八日
芳山之下處士節齋森田姓内人 栞識
甲寅之冬十一月五日、節齋先生與其夫人栞子、避地震於隣家
井澤氏、衲生訪之時、天鳴地響、人皆失色、先生自若擧杯、
顧謂夫人曰、我試汝膽、汝文寫此狀、以報備中之家弟耳、夫
人應聲下筆、意至筆悦、頃刻成此書、書成不加点、衲傍觀不
堪驚歎、漫賦國雅一首、以題其後云。
天地を動かすもむべあめつちの
うごくにつれてのぶる言の葉 雲外
出典 日本地震史料
ページ 213
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

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