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項目 内容
ID J0300958
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(西暦一八三〇、八、一九、)京都及ビ隣國地大ニ震フ、
書名 〔事々録〕
本文
[未校訂]去ル天保元寅年七月二日京{師}大地震、予は浪花在勤たりしか、聊浪花の地は震はず、其評区々也、同二卯年又々浪花に在勤の頃、壱番組内藤豊後守殿組を勤る、同勤松平次郎左衛門は寅年地震の頃京に在勤たれば、彼今年浪花に代勤の友なれば、其頃の事委しくきゝて心を寒からせり、七月二日申の刻震ひ出し御番衆の住居或は崩れ或は倒れ、内宅なりかね御米藏廣場へからふじて畳をしき是に居る事一晝夜、高麗御門倒れ、御天守台所之石垣くへ、御城土居居不残落入、御太鼓櫓西へ崩れ、石段鷹木なだれ落、常出入西御門鉢形石垣崩れ往來留ル、御金藏御焔{〓}藏、御殿向御車屋番頭の住居与力同心の小屋或はつぶれ或はかたむき、其震ひ不止事三日、二條三條四條は殊に強く、禁中も所々損ず、御城内殊に破損多し、其後年を越へ一日をき二日をき、又々日々少々ツヽ地震止ますと云、吾在動より此二條へ来り見るに追々修造に及ぶと雖、中々金くとゝのはす、町奉行深谷遠江守手より修造にかヽり其手の役人大工諸職を下知し、九番組十二番組より破損方居残、飯河三郎鎮目牧太、寺町本能寺に寄宿日々出役、遠江守も度々見廻り、此年其業をみたさず、漸く与か四月今年交代後全く出來、飯河鎮目秋の頃江府へ戻る、実に京{師}の一竒事也、
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 353
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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