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項目 内容
ID J0300957
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(西暦一八三〇、八、一九、)京都及ビ隣國地大ニ震フ、
書名 〔紙魚室雑記〕
本文
[未校訂]文政十三年庚寅七月二日申時、普通の地震一トゆりせしか、彼歌にいへる五七は雨にやなるらんなどいひもあへす、忽ち風荒き舟に乘れるが如く、大に震ひて鳴動おひたヽしく、四五十ゆり震ふ物がたちまち遠近の家土藏、万勿の勝れ落る者と諸ともに震動すれば、今は諸人たまりもあへず、吾常に頼む神仏を声をあげ唱ふるもあり、只泣さけぶもありて、おほかたに大道へ迯出、又迯出人として土藏の大輪瓦等の落るにうたれ、速死怪我人等もおびたゝしく出来ぬ、さて打つゝきて暮時より夜にいたり、只ドウ/\と世間鳴動して、最初のほどにはあらねど、動りつゞけて三日曙の頃に至りて、少しおたやかになりぬれば、皆々少し人心ちになりぬれど、猶ドウ/\と何方ともなく鳴動止ます、此二日の夜の京中大道に疊を敷板をならべ、飲食等此所にて皆相したゝめたり、種々の浮説まじなひ等、又は盗賊の噂等かまびすく、町役の人々は火事装束にて夜廻りをし、火の元大切の事を申合す、又諸人申合せし如く、頭に伊勢大神の剣御板をさし、又元の御苻等を髪の曲に結付る事、京洛中同様也、又京中并水は八日頃迄{〓}れり、三日終日何方ともなくドウ/\と鳴動地震やまず、折々大きなるは四日朝迄、八九十遍にやあるらん、数は覚えす、其度に人々肝にてたへて、恐ゐゝ事世間一統なり、今宵も大道にて夜をあかす、盗賊火附又は重き大地震ゆり候などゝ、浮説益甚敷物騒なり、二日夜も今夜も近辺の薮を求め、又は賀茂河原東西の野辺へ出る人も甚おひたヾしくあり、四日きのふよりな少しおだやかながら、きのふの趣にて晝夜かけて四五十度にも及ぶべし、今夜も皆大通に出たり、凡て前夜の如し、所々手あやまち有てさはがし、凡て門々用水を出す。五日地震二三十度なるべし、今夜も大道に夜を明す人おほし、六日地震晝夜大小かけて十二三斗、今夜は大方大道に出る人なし、猶盗賊火付等の噂有て物騷なり、七日八日地震晝夜七八ツ斗づゝ、八日夜余程大きなるゆり五七度に及ぶ、夜寅の刻斗り也、皆々驚きさ又々大道へ迯出、夜を明す事先々夜のごとし、九日十日より末十四日夜也、今日に至り大小は有ながら、一晝夜に五ツ六ツ、或は三ツ四ツづ{〓}地震す、其度々諸人肝をひやす事始の如し、十五日中元の礼至て少し、慎む人多き故也、当町内は申合せ礼なし、外二町々も左様の町多きよし、本家礼なし、十八日朝より雨ふり、殊に大雨近年は稀なる雨なり、終日大雨止まず、所々洪水兼て地震にゆるきありしにや、所々堤石垣土藏建家崩れ候事おひだヾし、大逢坂山崩れ、大道埋れ、往来留る、大津中寺裏の川堤に七十間斗切れて、京町小舟入洪水京辺にては清水寺廊下山下へ崩れ落、宇治橋落すべて川に橋引きたり、淀伏見大地藏洪水のよしなり、大津街道山科御廟野辺は、竹筏にて十九日は往來候由也、今夕方雷鳴あり、十九日曇天、廿二日間廿一日晴廿二日同今廿三日晴夜雲り少し雨ふる、今日は晝夜三度斗地震、此之度地震は、戍亥の方より辰巳の方へ向け震ひし様也、諸人の説同如斯、愛宕山大黒にて、漸坊二軒残り、其余並に茶店等皆谷へ崩れ落山割れしよしなり、高雄山も同様本堂大破の由、禁庭摂家公卿の御築地、皆崩れて大荒也、御城同様御門石にゑこみ、北の方南の方石垣掘へ崩れこみたり、城内はことに荒たる趣に思はる、大津京同様のさまにて、京の三歩斗りの由、淀は二歩斗、伏見は京同様、亀山も同様、鞍馬は至て軽し、宇治黄璧至てかるし、六地藏は大荒れ也、南山城にて玉水辺至てかるし、比良高島辺は只一度普通の少し強さがゆりて小児等は覚へぬ由也、東江州彦根辺同様、大坂津の国辺も同様の事なり、伊勢紀州伊賀大和も同様なり、右にて考ふれば、第一京都大地震、其餘其ひヾきと思はる、まことや、
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 351
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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