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項目 内容
ID J0300869
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(西暦一八二八、一二、一八、)越後國地大ニ震ヒ、神原、三島兩郡震害多シ、就中三條・燕・見附・今町・與板等ニテハ家屋ノ倒潰夥シク、特ニ三條町ハ全潰シ、死者四百人ヲ出シ、且ツ全町燒失セリ、見附モマタ全潰・全燒ス、震災地全般ヲ通ジテ潰家九千八百八戸、燒失千二百四戸、死者千四百四十三人、負傷者千七百四十九人ニ及ベリ、
書名 *〔新發田年譜〕
本文
[未校訂]十一月十二日朝五時大地震あり、中之島組今町潰家、
燒失家、怪我人夥敷、其外組々潰家あり、當座御手
宛五百俵御渡、田畑地割砂吹出場二百八十一町餘、
堤破損一萬四百十六間餘、潰家千六百六十軒、半潰
家七百十五軒、破損家五百四十四軒、寺八ヶ寺、半
潰九ヶ寺、燒失百二十一軒、壓死二百十五人、燒死
二十七人、怪我人百三十六人、斃馬二十二匹の御厩
あり、(高田三條最も甚し、右に付幾多の御手宛あ
り)同十一月米價引上、山島組々貧民御手宛あり)
同十一月米價引上、山島組々貧民御城下上端小屋掛
粥御手宛彼人數三千十六人に至る、翌年五月引拂、
此年御損毛高一萬二千二百九十八石餘御届あり、
文政十二年七月十二月六百二十六両二朱、潰家並に
燒失家、死亡人へ御手宛被下、此年二萬二千二百九
十石餘御損毛の御届あり、
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 269
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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