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項目 内容
ID J0300294
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1802/12/09
和暦 享和二年十一月十五日
綱文 享和二年十一月十五日(西暦一八〇二、一二、九、)佐渡國地大ニ震ヒ、羽茂郡被害最モ甚シ、小木町ハ總個数四百五十三戸ナリシガ殆ンド全潰シ、所々ヨリ出火シテ、住家三百二十八戸、土蔵二十三棟、寺院二ヶ所ヲ燒キ、死者十八名ヲ出ダシ、其湊ハ、地形變ジテ干潟トナレリ、
書名 〔佐渡年代記〕
本文
[未校訂]享和二壬戌年十一月十五日、巳刻地震に而、所々破
損之處、未刻又々大に震ひ、相川御役所向を始、人
家に至る迄、破損に及ぶといへども、震潰したるは
どの家も無之に付、怪我人抔はなし、銀山内甲坂と
云所に、岩山落重り、通路を塞ぐ、幸ひ通行之もの
もなく、怪我人なし、未刻の地震にて、又々岩山落
重りしとき、數十町隔りし鳥越間歩へ、土煙り來り、
暫時は闇夜のごとし、諸間歩敷内は、別條無之とい
へども、鳴動甚しく、大工、水替等にいたるまで、
悉く迯上り、來る廿二日迄、御家相止、尤當分之内、
地震ふ事止まず、
一小木湊は、別而地震強く、入江の内變地いたし、
干潟になり、洪波にも可及哉と、人々危ぶむ處、
參刻地震に而、人家震潰し、所々より出火に及び、
番所、民家を始、人家三百廿八軒、土蔵廿三ヶ所、
寺院二ヶ寺、燒失に及び、即死人十八人あり、燒
失に不及家々は、不殘震潰し、近隣とても、皆々
人家大破に而、迯迷ふ時節に付、小木町之ものど
も途方を失ひ、山中に寄合、畑と云處に假小屋を
補理、役人を始打寄、艱難至而甚し、小比之村蓮
花峰寺より、粥を炊、飢を救ふ、
右變事之注連、十七日晝頃にいたり、相川江到來
に付、廣間役。目付燒、地方掛り等遣す、
一三郡村々之内、羽茂郡は取分け地震甚しく、澤崎、
深浦、赤泊湊等も、地面震上げ、潰家、破損家、
數千軒に及び、田畑、道橋、山林等、損所夥し、
一小木町へ、米百五十石、錢三千貫文貸附、元禄十
六癸未年八月十日、大風高波に而、小木湊間掛り
の廻舟九十六艘、破舟に及ぶ、總目附本間十兵衛、
石井三郎右衛門、平役堀口彌右衛門、寺田善左衛
門、松村六兵衛、水品安左衛門、南條與右衛門等
を検使に遣す、此時海底へ沈みし金なるか、享和
小木湊地震して變地し、干潟となりし砂之内ゟ、
元禄金拾ひ出せり、
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 142
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 佐渡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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