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項目 内容
ID J0300149
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1792/06/13
和暦 寛政四年四月二十四日
綱文 寛政四年四月廿四日(西暦一七九二、六、一三、)後志地震ヒ津浪アリ
書名 *〔真澄遊覧記〕○菅江真澄著
本文
[未校訂]この頃鯡のあひきにわたりたる海士人ら、蝦夷のを
る島より歸る舟人なと語るを聞は、四月廿四日西蝦
夷のヲシヨロ、タカシマ、オカムヰ、シャコタン、
ビクニ、フルビラなといへる處はなへふりて、潮ひ
て、なだも磯のことくに石あらはれ、歩わたりして、
そひ、あぶらこ、なにくれの魚、又かひつ物は、し
ゆり、あはひ、のななとは、石砂のことく、わらし
まで拾ひをるに、時の間におほ汐起り高浪みたひよ
り來て、蝦夷、和人いくはくの人波におほれ、磯や
かたは、みなひき波にとられて、からくして山にか
けのほり、岨にたつ木の枝をたつきにたくり寄せて
をり、高き巖の末には、したゝみのことくすかりて
命いきたるものもありき、吾等かしこくもむかし五
十二年前なるつなみ○寛保元年七月十九日ノ津波に、澳なるふねはこ
となかりしかと、ふるき翁のつねにをしへたるをま
もりて、こたひ、なへし、磯の干たるを見て、こは
津浪のより來ならん、いで真沖にこき出よ、たれも
たれもといへと耳にも聞入さるものは、みなこの磯
にふねよせてしつみたり、わかふねは、あせと汐と
にぬれて遠おきにいかりかけて、此わさはひをのか
りぬるは、あめのたすけにや、又あかおやのをしへ
を、そむかさりけるにこそあなれと、いきもつきあ
へす、なか/\とかくいひて去ぬ
(武者註)右ノ記事ハ寛政四年五月九日福山ニテ認メヲレタルモノナリ、
津浪ノ日四月カ五月カ現在ノトコロ決定シ〓シ、今般ニ真澄ニ從ヒ
四月廿四日〓〓〓〓
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 103
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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