[未校訂]一、天命三癸卯のとし四月九日より山やけはしめ、それより日々/\やむことなく灰砂ふれり、
一、同年七月三日四日殊にはけしく、碓氷郡さか本、松井田、群馬郡高崎、其外信州佐久郡、輕井沢、武州榛沢郡にいたるまで三十四五里の間、灰砂地をうつむること三四尺、わけて碓氷郡さゝがたふけゐとは五尺の餘にも及びて、人馬の通路なりかたく、大小名の往來はみな路を甲州にとりたるほとなり、
一、碓氷郡の熊野の社家十四軒、信州輕井沢の驛家三十軒はかり火石ふりて燒失せり、近きわたりの野山のさまは青木葉もなくてさながら冬のおもかけなり
一、四日夜はけしく吹いてたり、火石の烟にましりたるは手鞠のとふかことくにて、山の上より五十丈あまりもふきあげて、地上は砂ふること雨のごとし、碓氷郡、群馬郡、及び武州榛沢郡の児玉郡なとは白晝も夜のことく、人家は行燈を照らし旅人は提灯をとりて往來せり、
一、五日の朝より關八州は中すにおよばす、信州、加賀、能登、越中、出羽、奥州、越後まても白き毛ふれり、其長三寸五分よりなかきは一尺もありしといふ、
一、七日は山なることつよく天地も震動するはかりにて、人家の戸障子まてもがう/\ひゞきていかにもおそろしきありさまなり、山の北かわくつれて石當まて三度もおしいたなり、鎌原村にては元年慶安三年の噴火なるべしの石とまりし故、それより下へおしいたすこともあらしとて、たゝ火石のふることをのみあんして、人々土藏やいはあなゝどへかくれゐたり、
一、七日の暮より黒煙おこりて近きわたりの山々にたなひき、火焔東西にひらめき人のかたなせるあやしきものゝ草津白根濁座等の山にをひわたれりなといひて人々奇異のおもひをなし、神佛に新請するなといとさはかしきありさまなり、
一、八日四時山いたくなりて、大地をとゝろかし砂をとばしなみをまきて、吾妻の川通に押いたし、かま原材より大前村を始めとしてかはさきの村々家かこひ、其外の数百年をへたる老木みなおもぬけり、しはらくありて泥と火とをふきいたし、山の上百丈はかりもあかりて一時はかりはすへてやみ夜の如く、火の光天をつきひゞきは雷の本四百か如く、田はた平坦のところたちまちにして一面の泥の海となれり、ふかきところは一丈二尺、あさきところも五尺七尺をふりうづめたり、そのなかに火石ましりて燒るゝこと三十日あまりにもおよへりとそ、
一、吾妻川うはさきの村々おされおぼれて死する人甚夥しく、ところ/\の寺にて供養ありけり、あはれなることなりけり、
一、川筋田畑人馬流死去次第、
一、大竜村荒地少々一、大前村家百軒人三十四人馬八疋
一、赤羽根村荒地少々一、鎌原村家屋皆流失人四百八十四人
一、西宮村家二十一軒人四十二人一、中井村家十二軒人三十六人
一、蘆生田村家悉皆人廿三人一、羽根尾村家五十一軒人廿人馬九疋
一、今井村荒地少々一、小宿村家人悉皆女一人殘
一、袋倉村人十一人一、半手村家悉皆人十七人
一、小笹村家悉皆人三十三人一、立石村家三軒
一、河原畑村地七十三石流れ三石殘り人死者七人一、松尾村地三十町餘家六軒人三人
一、長野原村家二百十軒人五十五人一、坪井村地三十一石人八人
一、横壁村地三町三反三畝十五歩一、岩下村家二十九軒人二人
一、河原濁村人十七人一、矢倉村家二十九軒地百餘石
一、林村家十四軒一、三島村地二百七十石家五十七軒人十六人馬八疋
一、郷原村地二十石餘一、横谷村地九十石餘人十一人馬廿六疋
一、原町地二百十六石餘家十六軒一、原田村地九十石餘人七人馬四疋
一、川戸村地百十二石餘家十軒人十人一、金井村地四畝八歩林三反四畝十九歩
一、岩井村地八畝歩人一人一、植栗村地二町餘
一、小泉村地二町餘一、泉沢村地一石五斗
一、新巻村地一町四反餘一、奥田村
一、五町田村一、箱島村
一、祖母島村家廿八軒一、中條村地廿一町餘
一、伊勢町地廿五町家二軒人一人馬一疋一、青山村地七十三石家十七軒人一人馬一疋
一、市城村地九十二石家廿一軒一、村上村地百八十石家十七軒
一、川島村家五十軒人百廿人一、小野子村家十七軒人一人馬六疋
一、小牧村一、金井宿
一、澁川宿一、中村
一、南小枚村一、大崎村
一、半田村一、白井村
一、阿久津村一、漆原村
一、河原島村
荒高
一、高壹萬九百八十五石九斗七升二合七勺
吾妻郡二十八ケ村
此反別四百九十四町三反二畝拾三歩
一、高三千五百五十三石四斗五升五合
群馬郡四ケ村
一、流死人九百三十四人男四百四拾三人女四百九拾一人
一、馬三百八十五疋
一、家九百三十軒
一、村々餓死人三千百五十二人男千七百七拾六人女三百七十六人
一、吾妻郡川付私領之村々流家二百五十九軒
吾妻郡御領私領合千百九十四軒流失
同流死人千三百十三人
同馬五百七疋異變微候之事
一、同年正月頃より鶏羽おとをなさす時をつくらす、
一、梨の花さく、
一、五六月之間群馬郡上小野子本宿山吾妻郡三原辺まて鹿なく、
一、七月三日乃朝出羽奥州にて日輪二面見はると云、
一、七月四日八月五日のあさ日色紅の如し、
一、八月奥州雪ふるを九尺または二尺または一尺七寸におよへり、
一、九月碓氷郡のうち柿の花さく、
一、十月武州榛原沢郡の内桑の實なる、
一、吾妻郡にて麥のほいつる、
一、十一日過半馬郡三倉室田中村のうち武州児玉郡凌瀬村のうち躑躅飢饉之事
一、同年七月中物價百文に付米壹升五合○小麥壹升八合○大豆貮升壹合○小豆壹升九合○麥兩に付貮石三斗、
一、同八月中百文に付白米壹升○大豆壹升四合○小豆壹升三合○麥麺三百貮拾目○麥兩に付壹石六斗、
一、同九月中百文に付米壹升○小麥壹升三合○小豆壹升貮合○大豆壹升三合○麥麺三百日○麥兩に壹石四斗、
一、翌四年辰二月中百文に付米七合○小麥六合五勺○大豆七合○小豆五合○餘米四合○麥麺貮百目○麥兩に四斗八升
一、同三月中百文に付米四合○麥麺百八十日○稗八合○粟八合○麥兩に四斗、
如斯物價騰貴するに順し干菜一連百文といふにいたれり、すへて関東筋はわか粉を食とし、山かたは木の根草の根をほりつくしたりといふ、
一、村々餓死するもの其数をしれす、食物つゝきかたく、葛の根藤の根ところ松の木のかは木のほや白手ひらわらひの根にれの皮そはからの粉稗からの粉なとを食ふにいたれり、日本四十二國の飢饉なりといふ、