西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0202154 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1783/08/05 |
和暦 | 天明三年七月八日 |
綱文 | 天明三年七月八日(西暦一七八三、八、五、)浅間山大噴火ヲナス、是シヨリ先キ四月九日ヨリ活動ヲ開始シ、屡〓鳴動・爆發ヲ繰返シタルガ、六月二十九日ヨリ八其ノ活動一段ト勢力ヲ加ヘ、七月五日ヨリ愈、大噴火トナリ、七日ニハ降灰・降砂甚シク、武藏深谷邊ニテモ一時暗夜ノ如クナレリ、七日ニ至リ一大鳴響ト共ニ大泥流ノ奪下アリ、北上州方面ニ流下シテ吾妻川ヲ閉塞シ、續イテ決潰シテ吾妻川ヨリ利根川ニ奔注シ、沿岸ノ諸村落ヲ蘯盡シテ、死者千五十一人、流失家屋千〇六十一戸ノ多キニ達シタルガ、就中吾妻郡鎌原村ノ如キハ全村埋没シ、人口五百九十七人ノ中四百六十六人惨死セリ、泥流ノ溢出ニ續イテ夥シキ溶岩ヲ噴出シ、コレマタ北方ニ向ツテ流下セリ、鬼押出ト稱スルモノ即チコレナリ、 |
書名 | 〔御見草〕 浚明〓實記 |
本文 |
[未校訂]世に傳ふる所は、淺間山燒て、信濃、上野両國、田畑悉く荒無せしかば、農民等飢〓して、四五百人、又は千餘人、をの/\領土の城門につどひて、賑漸をこひうたへたり、なかにも板倉伊勢守勝曉は、上野の國安中の農民等、なげきうたふる事、三たびに及しかども、家人等はかくしき(てカ)いらへもかざりしかば、農民いきどほりて、城内へを入らんなど罵りければ、やむことを得ず、さま/\にいひなだめて漸々ひきとらしめしとぞ、これにまぎれて、近國のあふれもの等、東西より馳集り、餓民といつはり、富農の民の家々を亂妨し、金銀、米穀、衣服、器械の屬に至るまで搾取、九月の末、十月のはじめは、信濃國小諸の邊を却暮し、松平左衞門佐忠濟の所領上田城に押入らんとする由、聞にければ、忠濟が家人等、兵器をもて得居たり、一揆等はかすの取たる綿場を剪て、竿にかけ、旗筒のまねして、上田の邊鄙にをし入ければ、忠濟が家人等、このよし聞く、馳むかひ、かけ散し、逃るを述く、数十人を生捕ければ、殘るもの等は、四方へ逃散なり、これより一揆漸々鎭りぬ、よりてかくは令せられしなるべし、
|
出典 | 増訂大日本地震史料 第2巻 |
ページ | 594 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | |
市区町村 |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る
検索時間: 0.003秒