西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J0201992 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1777/08/27 |
和暦 | 安永六年七月二十五日 |
綱文 | 安永六年七月廿五日(西暦一七七七、八、二七、)筑後久留米地震フ、 |
書名 | 〔伊豆海島風土記〕 |
本文 |
[未校訂]此島度々山の燒る事あり、今も絶○一本度ニ作ル々煙立、雨夜杯は燃出るゆゑ尋行て見るに、三原といへる山の頂き一町斗深七八丈○一本尺ニ作ル程の洞と成、其内幾筋となく燒割て天より煙吹立、折々燃出るなり、此外込沢中沢赤沢とて深き谷なりしが、三谷とも燒埋り、海へも燒出、昔の焼跡は草生木立と、成し所あまたある故、燒盛りたる頃の様子年暦を尋聞しに、詳なる書類なども見へざれど、貞享元子年燒出、又天和四子年○天和四年ハ即チ貞享元年ナリ、コノ記事謬レリ、ニヨリ元祿三午年迄燒わたり、夫より止てありしが、安永大酉年燒起り、翌戌年までは火勢尤も強く、晝夜震動して野山の業に怠り、又海魚不寄ゆゑ漁火の営も絶へ艱難せしよし、然はあれど島にては是を御神火と唱へ、火口をばみほどゝ云ふて清め祟るよし、如何様その頃はさもありつらんに、今は何の障にもならず、嶮岨成嶺は燒崩て谷を埋、海へ燒出ては土壤凝固して陸と成り、都て島の地程噴まりし事不少、年暦立なば皆田畑とも或、民主の増なれば御神火と稱し仰くも理り成べし、
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出典 | 増訂大日本地震史料 第2巻 |
ページ | 501 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 東京 |
市区町村 | 大島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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