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項目 内容
ID J0201584
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/10
和暦 寛延四年四月十五日
綱文 寳暦元年四月二十五日(西暦一七五一、五、一〇、)越後國地大ニ震ヒ、頸城郡被害最モ夥シ、高田城破損シ、桑取谷ニハ山崩ヲ生ジ、一時桑取川ヲ閉塞セリ、高田領全般ニ於ケル全潰及ビ燒失民家ハ六千八十八戸、死者千百二十八人、震災地ヲ通ジテノ死者ハ二千人ニ達セリ、
書名 〔越中舊事記〕
本文
[未校訂]寛延三午年○寛延四即チ宝暦元年ノ誤ナルベシ四月越後ノ内、能生、名立、有馬、川辺山崩震動、堂塔民家轉倒、人馬多死亡、其節富山大地震、利幸公御歸城時節之處、右之越後大変ニ付而通路無之、依御願同八月中仙道通リ御歸城也、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 389
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
市区町村 富山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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