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項目 内容
ID J0200503
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔落穂雜談一言集〕
本文
[未校訂]宝永四年丁亥十一月廿三日より砂の降たる事あり、富士山の燒出たる故、其砂地国迄降たり、右廿三日の前夜なりしに、富士の裾野の御厩といふ所に、淨光寺といへる小寺一宇あり、此寺の門前を、夜半頃と黒ふ頃、数百人計りも通れる如くの足音しける故、住寺あやしく思ひ、垣のひまよりのぞき見けるに、富士山上より数萬のけだ物甲州の方をさして走り行事夥し、暫く有て日も出かゝりしゆへ能く見れば、常にみなれぬ獸餘多有りける、一時許り通りけるが程なくまばらになり、みな/\出はらひたると思ふ頃、たけ一丈もあらんと見ゆる熊の如くの獸、背に二つの角を生へ、惣身に眼ありて、其光鏡の如くなるもの、惣おさへと見へて、人の様に立、手をひろげて通りける、あやしき事に思ひしが、明日より富士山燒出たり、後に所の古き人に尋ければ、彼獸は當山の主と昔より云傅ふと也、此咄は板橋與五衛門門入道古軒方にて、彼淨光寺の僧直咄し也、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 237
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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