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項目 内容
ID J0200492
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔改作雜集録〕
本文
[未校訂]戌子宝永五年由正月七日、御老中井上河内守殿へ聞番御招、砂除銀の儀に付御書立相渡さる、河内守殿御用番にては無之候へども、富士山焚出砂降積候固々御用被仰付に依て也、若年寄稲垣対馬守殿、御勘定頭荻原近江守殿主何なり、
近年御入用之品々有之所、去冬武州、相州、駿州三ケ匡之内、砂積候村々御敷方之儀に付、今後譜国高役金御領、私領共、百石に付、金二兩宛之図在々所々より取立可有上納候
且又領地遠近有之故、在々より取立候迄可爲遲々候間、一萬石以上之分者領主より取替候而、當三月を限江戸御金藏へ可有上納候、一萬石己下は六月を限り可被相納候、頭有之分者其組=に請取之、目録を以頭々より可有上納候、頭無之面々者、上納之前廉可被相達候、五十石より内之端高者役金可有用槍候、寺社領社相除之候、以上、
閏正月、
三月廿九日御領国分砂除金二萬五百兩を上納あり、諸国の高都て一千八百七十三萬二百石、出金高三十七萬四千六百四兩と云々、多くは四民に謬て是を出す、此方よりは悉く公府より御出し御領国へ課役仰付られず、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 230
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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