[未校訂]宝永四年十二月三日四日、從関東有書札、竒恠々々可慎可慎、爲後代微細書状之趣注之、
一筆申入参候、○中略さては廿三日己刻時分〓、地しんのやうに、戸しやうじなどひゃきも地しんにては御ざなく、ゆら/\といたし、きみわろく候て、度々庭へ出申候やうに御ざ候、夜にかけさやうに御ざ候て、そのうへにかやうにはい砂のやうなものふり申候、つゝみてかき付、御めにかけ参候、いづかたも山などやけ申候やと申候へども、空のけしき一めんして、何ともみわけがたく御ざ候、ひる七つ時分より、ざしきのうちにてもひ(燈)をともし参候やうに御ざ候、廿三日そとをとを(ほ)り候者ども、目口へはいなど入候てありきかね申候よし、ひゞき申候は、にし南のかたよりにて御ざ候、
廿三日夜中たえずひゞき候て、廿四日にもおなじ通にて御ざ候、さりながら朝はそらはれ申候、それゆへ(ゑ)におもて庭の山より、たしかに遠山のやけ申候よし見え申候、それにて地しんにては御ざなきあとあんどいたし参候、大納言様○家宣も御らんぜられ、わたくしもみ参候、さてさてすさまじくおそろしき事にて御ざ候、いづかたのともいまだしれ申さず候、やがて注進御座候はんまし、しれ次第さう/\申上候べく候、まづ/\こヽもとのやうす、さこそとり/\にさたいたしても御きづかい(ひ)あそばし候はんまゝ、此とをり申上候やうにとの事にて御ざ候、さてもまだひゞき御ざ候て、やけ申候煙、空にみち申候て打くもり、もふ/\しき天気にておはしまし、北の方少はれやかに御ざ候のみにて、はいすなふり候て、ざしきのうちもけふり候やうに御ざ候、何ともさう/\しき天気相にて御ざ候・夕ぐれには神なりさへそひ参候て、すさまじく御ざ候、いつぞや下され候たき物などたき、吉來香をもたき参候て、すい(ゐ)ぶん/\つゝしみゐ参候
かしく、
廿五日夜ひ、
前関白様にて
たれにも御中
返/\地しんとはぞんじ候はねども、たえずかやうにびり/\とひゞき候へば、きみあしく心さは(わ)がしく、はやく世もしづかになり候かしとねんじ参候、さりながら大納言様御きげんよく御ぶしにて、右近もかはり事なく、その外めしつかひのものども、とり/\つゝがなくさふらひ候、何も/\御きづかひあそばし候まじく候〓、又四日、到來文
一筆申入参候、○中略さてはひゞきのやうなる事も大かたしづまり参候、晩方注進御ざ候とて、此書付まいり候まゝ、御めにかけ参候、代官所より書付いまだまいり候はず候、もしまいり候はゞ、又々御めにかけ参候べく候、はいもふりつみ参候、夜に入候ても、ほしなど見え参候事も御ざ候、又みえかね参候事も御ざ候、はいなど庭につもり参候、雪のふゞきなどのやうに、あなたこなたにつもり参候て御ざ候、何とやらんきみあしきものにて御ざ候、はやくしづかになりまいらせ候へかもとねんじ参候、〓、
廿六日ひ
前関白様にて
たれにても御中
返/\むかしよりふじ山やけ申喉事は、あまりさいさいはなき事のよしうけ給り候て、おそろしくぞんじ参候、〓、江戸へ吉原之者注進如此、即續加之、○下文昨廿二日云云問屋注進ヲ云フ、
又當月三日の文、今日到來、彼ひゞきもしづまり、おだやかに御ざ候よし也、
凡今度大変連讀、富士山燒事、灰砂降事、古今未曽有也、凡灰之体、子ズミ色にてワラのハイのやう也又一色はテツノヤケクヅ歟、其色クロシ、コンゴウ金剛シヤ砂ウのやう也、又燒石大小、駿州の内、コブシ程なるあり、又大小の栗程のもあり、其かろき事瓢タンの如し、難記之間漸書之、
又四日、姫君○近衞基顯ノ女口元徳川家實ノ室タリ條候の者、有用事進書状、其書中微細之間注之、取〓、
一當地砂降候事、干今止不申、雨風之節は、別てふり申候、先達て申上候通、富士山すばしり口と申所燒申候、鳥見分御徒目付三人被遺候所、燒候山四里近く迄参候へ共、其分前へは中々石などふり申候難儀、尤四五国之間、家居一軒も無之、或は燒失、或はつぶれ、人壹人も無之、畜類も事之外難儀之体相みへ申候由に御座候、右之砂、水戸辺、上意、下總、安房、尤相模鎌倉辺、江戸よりは深くふり申候沙汰に御座候、砂故に御座候哉、病人も数多御座候、去る朔日之御礼にも尾張殿、紀〓殿を始八十二人之病気断にて登城無之候、其以下家々、事之外病人多く、別て難儀仕候、併損じ申様成病氣にて無之候、五七日之内、得快氣申事に候又、
昨廿二日ひる八時より、今廿三日五ツ半までの内ぢしんまもなく三十どほごふるひ、少々のこり候半くづれのいゑ(へ)、また候ふるひくづし申候その上同じく四ツどきより、ふじ山おびたゞしくなりいで、其ひゞきふじごほり中ひゞきわたり、大小の男女ともにぜつし(絶死)仕候ものおほく御座候へども、死人は御座なく候、しかる所に同じ山雪のながれ木だちのさかひよりおびたゞしくけふりまき出し、なを(ほ)もつて山大地ともになりわたり、ふじごほり中一へんのけふり、二時ばかりうづまき申、いかやうの儀ともぞんじたてまつらず、人々とはう途方をうしなひまかりあり候、ひるの内はけふりばかりとあひ見え、くれ六ツ時より、右のけふり皆火煙にあひみへ申候、此うへいかやうの儀にまかりなるべきもぞんじたてまつらず候、右のだんおそれながら御ちうしん申上候、以上、
駿河富士郡
十一月廿三日吉原宿
問屋
年寄
右のとを(ほ)り、駿〓よしはら宿より、しゆくつきを以てたゞ今ちうしんつかまつり候間申上候、もつとも御だいくわんのせ権兵衞方〓は、いまだになにとも申きたらず候、以上、
十一月廿五日(四カ)安藤筑後守
石尾阿波守五年正月八日○中略長之朝臣、自道中富士山新山出來之圖書進之、仍加之、○図略ス、又昔の山の體、爲後代余書之加之、名山形異変、可惜々々、凡自上古以來、山河地形、或洪水、或地震、彼是変異、尤可然云々去年下向関東、見富士山、今日山形相変、人間世界、日々無不変物、不足驚、但富士山体相変、返々惜哉々々、