[未校訂]抑も當社來由を尋ぬるに建立己往其代幾世なるか詳ならず、茲に宝永四亥十月四日未刻土地震ひ起つて即時震汐沸く事高山の如し、当郷民家十五六宇津浪の爲流失す、然りと雖社壇水際を去る一丈三四尺、一宇の社も安穏にして流れず、神慮の加護恐るべく貴むべし、其比内妻の庄、石ケ平を波の限りと爲す後人に之を傳へんが爲に、故老の所望に依り筆を加ふる者也、今の社床は氏子相談にて新に地盤を構ふ也、
寛保三亥九月吉日惣村中
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項目 | 内容 |
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ID | J0200448 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(西暦一七〇七、一〇、二八、)五畿七道ニ亘リ地大ニ震ヒ、続イテ九州ノ南東部ヨリ伊豆ニ至ルマデノ沿海ノ地ハ悉ク津浪ノ襲フ所トナリ、其ノ餘勢大阪湾、播磨、長門、周防ニ達シ、大阪ニ非常ナル災害ヲ生ジタリ、震災地全部ヲ通ジ潰家二万九千戸、死者四千九百人ニ及ベリ、マタ土佐ニテハ地形変動ヲ生ジタル處アリ、 |
書名 | 〔杉尾神社津浪記〕満徳寺記録 |
本文 |
[未校訂]抑も當社來由を尋ぬるに建立己往其代幾世なるか詳ならず、茲に宝永四亥十月四日未刻土地震ひ起つて即時震汐沸く事高山の如し、当郷民家十五六宇津浪の爲流失す、然りと雖社壇水際を去る一丈三四尺、一宇の社も安穏にして流れず、神慮の加護恐るべく貴むべし、其比内妻の庄、石ケ平を波の限りと爲す後人に之を傳へんが爲に、故老の所望に依り筆を加ふる者也、今の社床は氏子相談にて新に地盤を構ふ也、
寛保三亥九月吉日惣村中 |
出典 | 増訂大日本地震史料 第2巻 |
ページ | 207 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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