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項目 内容
ID J0200433
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(西暦一七〇七、一〇、二八、)五畿七道ニ亘リ地大ニ震ヒ、続イテ九州ノ南東部ヨリ伊豆ニ至ルマデノ沿海ノ地ハ悉ク津浪ノ襲フ所トナリ、其ノ餘勢大阪湾、播磨、長門、周防ニ達シ、大阪ニ非常ナル災害ヲ生ジタリ、震災地全部ヲ通ジ潰家二万九千戸、死者四千九百人ニ及ベリ、マタ土佐ニテハ地形変動ヲ生ジタル處アリ、
書名 〔熊谷家傳記〕 信濃下伊那郡
本文
[未校訂]同○宝永四年亥十月四日、大地震、此節伯父庄右衛門満嶋へ用事有て當家に一宿し、四日の晝過に福島へ出、金田氏に立寄、暫く休息して未ノ剋ニ移ル時分ニ、松嶋通り満嶋へ被行筈にて、福嶋を出ける処に、道に踏迷ひ、福嶋之上之松休所ニ出たれば、地震ゆり出し不行ニ付、福嶋へ漸くゆり間を見合ハさく帰りければ、金田氏被申は、松嶋道はあの〓く所々欠崩れて候故、最早貴公再ひ被帰間敷、衰れいが成不思議にも無恙て、今一度之對面も有かしと、神を祈り又は念佛を唱へたり○下略
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 202
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 神原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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