[未校訂]田子村
多胡神社文亀三年癸亥上渠文に津浪以後當社成就云々の文字あるは、此明應七年の海嘯を云ひしものならん、當時神社は太田子字山崎に在りしが、同社の神鏡と思はるゝものが土木氏の井戸より出土せしことあり、仁科村
慶長十年の上梁文の裏書に曰く、是より先、百十六年戊午歳の海嘯には、波頭寺川の大堰に到ると、(寺川の大堰は海岸を去る十五六町の一部落)豆陽舊跡記に本社の沿革を載せて曰く、四百年前は鴨ケ池の傍に在りしが、海嘯のため今の地(澤田)に流寄しを以て、即ち其地に遷祀す、
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項目 | 内容 |
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ID | J0101401 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明應七年八月二十五日(西暦一四九八、九、二〇、)東海道大地震大津浪、 |
書名 | 〔伊豆半島地震史料〕 |
本文 |
[未校訂]田子村
多胡神社文亀三年癸亥上渠文に津浪以後當社成就云々の文字あるは、此明應七年の海嘯を云ひしものならん、當時神社は太田子字山崎に在りしが、同社の神鏡と思はるゝものが土木氏の井戸より出土せしことあり、仁科村 慶長十年の上梁文の裏書に曰く、是より先、百十六年戊午歳の海嘯には、波頭寺川の大堰に到ると、(寺川の大堰は海岸を去る十五六町の一部落)豆陽舊跡記に本社の沿革を載せて曰く、四百年前は鴨ケ池の傍に在りしが、海嘯のため今の地(澤田)に流寄しを以て、即ち其地に遷祀す、 |
出典 | 増訂大日本地震史料 第1巻 |
ページ | 944 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 | 伊豆【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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