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項目 内容
ID J0101400
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1390/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1390/99/99
和暦 元中ノ末
綱文 元中ノ末(西暦一三九〇、)信濃國地大ニ震ヒ、東筑摩郡ニ大山崩ヲ生ジタリ、
書名 〔牛伏川砂防工事沿革史〕
本文
[未校訂]八軒欠(ガケ)の起源明徳(足利三代義満の時昭和八年を去る五百四十三年の昔)年間○元中七ー九の大地震にて斯の塩の池の西側一体が缺潰し山つなみを起したるを以て何ぞ堪へんや忽ちにして内田、小池を初めとして村井、小屋を押流し、其餘勢は伸びて奈良井川を突き切りて遠く笹賀村神戸二子迄に至れりといふ。斯の八軒崖の缺潰は東西約三百米突より四百米突、南北四百五十米突の大山崩れにて而も地震と暴風雨との為突然に起りし出来事なれば、其惨苦の劇しかりしこと想像するだに身の毛もよ立つほどの有様にて、土ともつかず水ともつかぬ一種そら恐ろしき怪物が、獅子の如く虎の如く、大蛇の如く、形容さへなし能はぬ畏ろしき鳴動と共に山腹より麓にかけて蜿々と奔下するありさま得も言はれず、皆々生きたる心地もなく只あれよ〳〵とわめきつゝ泣き叫ぶのみなりしといふ。其の結果前述の幅員の土砂を其高さ約七十米突ほどの厚さを延長貮拾餘丁も運び去りたるなり。現在小池村井等の地下十数尺の處に同地方のものならぬ砂礫の部厚に埋まり居るに視るも、當時の山つなみの如何に烈しく其被害の如何に甚大なりしかを推知すべし。(武者註)牛伏川ハ長野縣松本市ニ東南一里半程ノ地、
出典 増訂大日本地震史料 第1巻
ページ 944
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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