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項目 内容
ID J0100059
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1611/12/02
和暦 慶長十六年十月二十八日
綱文 慶長十六年十月二十八日(西暦一六一一、一二、二、)三陸、地震ヒ、直接ノ震害ハ軽カリシモ、震後大津浪襲来シテ、伊達政宗領内ニテ溺死者千七百八十三人、南部津軽ノ海岸ニテモ人馬死スルモノ三千余、北海道ノ南東岸ニテモ民夷溺死スルモノ多シ
書名 〔王露叢〕
本文
[未校訂]一、十一月晦日、松平陸奧守政宗初鱈を献上す、夫に就き政宗領所海涯の人屋に波涛大に漲り來て悉く流失す、溺死の者五千人といふ、世に之を津浪といへり、上野介言上す、此日政宗肴を求めむが爲に遣す侍二人なり、此者共、漁人を駆りて将に釣に出でむとす、漁人のいふ、今日潮の色常に異なり、天気も亦快からず、出船は致し難き由を申す、一人は其意に任せぬ、一人は主命を請けて行かざるは君を誣するなり、止むべきにあらずとて、終には漁人六七人強ひて相具して出船す、数十町漕出でゝ見れば、海の面天を〓し、大波山の如く寄來りて、肝を消し魂を失ふ処に、此船彼の浪の上に浮び沈まずして後、波平にして著岸す、此時心を静にして眼を開き見れば、彼の魚人の住む所の里近き山上の松の傍なり、此所千貫松といふ、即ち船を彼の松に繋ぎければ、波涛退いて後、船は遙の梢にあり、其後彼の者、漁人と相共に山を下りて、麓に到りみれば、我が住みし里には民屋一宇も残らず流れ失せぬ、此所にして助命の者は、彼の陸奥守の従者二人と漁人計り死を遁れたり、政宗此事を聞き、彼の者に俸禄を輿ふ、此由を後藤庄三郎御前に於申上ぐる、仰に曰く、彼の者其主命を重んずるに依りて災難を免れ、却りて福を得と宣ふ、
出典 増訂大日本地震史料 第1巻
ページ 696
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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