Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J00006786
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 文禄五年閏七月十三日(西暦 1596,9,5)
書名 〔予松古跡俗談 下道後郷末 伊予郡〕
本文
日招八幡宮 在保免村 薬師寺、西林寺
俚俗の云伝ふる、(中略)薬師寺はもと日照山医王院長円寺と号、 (中略)高綱此地に八幡宮を勧請有、則当寺を別当として新たに九間四面の本堂および観音堂・鐘楼・中門・二王門・塔頭等造立あり、八町四方の地を寺社領田として寄附し給ふ、此時日照山を改めて日松山と号す、(中略)慶長元年閏七月、天下大地震の時、本堂二王門また崩るゝよし云伝へぬ
(参考)
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 松山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.001秒