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項目 内容
ID J00006700
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 文禄五年閏七月十三日(西暦 1596,9,5)
書名 〔細川家記〕
本文
忠興
閏七月十二日、畿内大地震、子の刻比よりゆり出し、大地裂け、水湧出、京伏見の家々数多ゆり崩じ、死亡の者数を知らず、洛陽大仏の像なども破裂く、就中伏見城内の地震強して、殿屋倒れ崩れ、上臘女房七十三人、中居下女の類五百余人横死し由也、此砌忠興君奥より御立出、女共出る程に、皆々のき候へと被仰候、而、、米田助右衛門と召され、奥方の事其方へ渡す間、宜く相計い候へと被仰置、伏見の御城へ一番に御かけ付被成候、太閤は帯ときひろぎ御出、与一郎早かりしと被仰、御感あり、つ#いて加藤主計頭清正被参候、此時女房達圧死にうたれ、人を見懸て助て給ヽ候と、声々に呼候得共、聞捨にして御通被成候が、不便なる形勢なりと、御物語なり、
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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