○慶長元年秋七月十二日地震海隘シ沿海ノ地尽ク其災ヲ蒙ル瓜生島亦タ沈没ス瓜生島ハ大分郡北ノ海中ニ在リ東西一里南北廿丁大分海岸ヲ距ル廿丁余速見郡ヲ距ル十九丁居民千余戸人口五千余アリ此災死者八百七人初メ早川長敏ノ府内ニ来ルヤ兵火ノ余城塁荒廃居民流離ス因テ城塁ヲ修築シ人民ヲ賑恤シ漸ク其旧ニ復ス是ニ至リ再ヒ災害ニ逢ヒ因テ又茅屋ヲ沖浜ニ構へ瓜生島ノ余民ヲ置キ衣食ヲ散与シ人民頼リ以テ生ヲ得ル
(解説)
「豊後全史」と「豊後遺事」は異名同本である。速見郡豊岡村の加藤賢成氏の明治十八年に編述したものである。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J00006315 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1596/09/04 |
和暦 | 文禄五年閏七月十二日 |
綱文 | 文禄五年閏七月十二日(西暦 1596,9,4) |
書名 | 〔豊後全史〕 |
本文 |
○慶長元年秋七月十二日地震海隘シ沿海ノ地尽ク其災ヲ蒙ル瓜生島亦タ沈没ス瓜生島ハ大分郡北ノ海中ニ在リ東西一里南北廿丁大分海岸ヲ距ル廿丁余速見郡ヲ距ル十九丁居民千余戸人口五千余アリ此災死者八百七人初メ早川長敏ノ府内ニ来ルヤ兵火ノ余城塁荒廃居民流離ス因テ城塁ヲ修築シ人民ヲ賑恤シ漸ク其旧ニ復ス是ニ至リ再ヒ災害ニ逢ヒ因テ又茅屋ヲ沖浜ニ構へ瓜生島ノ余民ヲ置キ衣食ヲ散与シ人民頼リ以テ生ヲ得ル
(解説) 「豊後全史」と「豊後遺事」は異名同本である。速見郡豊岡村の加藤賢成氏の明治十八年に編述したものである。 |
出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
ページ | |
備考 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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