先崎 妙見大菩薩祭百手由来
△慶長元丙申七月九日、昼七つ半時大地震大波の災難、大変出来、御敷地氏子の在所先崎村悉其地ニ及ひ、今の貴船大明神の舗地、原村へ居住す、其節海辺所々其地大変、上下万民失十方候事申伝へし也、然るに、氏神妙見菩薩の神体失給ひ、御ありかを不知、大変事ニ付居所身命を失ふ体より、百手の祭礼等一両年中執行ひなし。就之波上りの氏子共敷地之神貴船宮を崇敬し祭しゆへ、百手も妙見宮の百手祭礼等相施し有之所、三川村#先崎村、其地□(よりカ)只今之社地へ夜る/\光り物渡り、其上氏子の中に霊験し給ふハいつ方迄も氏子を捨る事なく、昼夜影体そひ守りけるに、□(わカ)れを捨る事不可有と霊験有之ニより(後略)