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項目 内容
ID J00006092
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(西暦 1586,1,18)
書名 〔—兵庫県南部地震の一周年にあたって—〕松島信幸著「伊那」一九九六年・十二月号伊那史学会発行
本文
園原は歴史的に古い集落です。ところが不思議なことに、むかし園原に住んでいた人たちは阿智村の伍和に移り住んでいます。今の園原に住んでいる人たちは、ずっと後になって阿智村から分家して移り住んだ人たちです。つまり、園原は四百年か五百年の間、だれも住んでいなかったのです。何時、どんな理由で園原の人が里へ下ったのかわかっていないそうです。これは大きな謎です。
清内路峠断層は園原の入口から濃間の富士見台スキー場ロープウェイターミナルや月川温泉をとおり、浪合村の蘭平ゴルフ場・治部坂峠を通過します。なぜか最近開発された観光地はこの断層上に並んでいます。
御射山社一ノ鳥居跡
「天正地震」は伊那市の西箕輪でも大きくゆれたことが記録されています。西箕輪の羽広には御射山社がありました。この本殿が天正十三年の地震で壊れてしまったと書いてあります。羽広の仲仙寺は御射山社と関係の深い寺ですが、今の建物は三・四百年前ころに建て直されたものだそうです。最初の寺の位置は今の位置より高いところにあったようです。残念なことに、寺が壊れたのは何時であるかはっきりしないそうです。
一ノ烏居の礎石
有名な古い寺についての見直しが大事だと思います。その一例ですが、高森町の瑠璃寺は、伊那谷に侵攻した織田軍によって焼かれたと聞かされてきました。本当なんでしょうか。確かなことは、四百年くらい前に寺が再建されていることではないでしょうか。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村

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