四 宝樹山円徳寺
天正十三年(一五八五)十一月二十九日夜半、白川郷を中心に大地震があり、当時保木脇の帰雲城には内島兵庫氏理(はる)が居たが、地震と共に背後の山崩れにより城は壊滅、氏理以下一族悉く死亡した。氏理の一族に新右衛門氏政という者があって偶々郡上に居て難を遁れ、後所縁を頼って延徳寺に来住し、出家して小八賀郷町方村に道場を開き住んだといわれる、今の還来寺の祖である。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J00006085 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1586/01/18 |
和暦 | 天正十三年十一月二十九日 |
綱文 | 天正十三年十一月二十九日(西暦 1586,1,18) |
書名 | 〔大八賀村史〕○岐阜県荒川喜一編 S46・11・8 |
本文 |
四 宝樹山円徳寺
天正十三年(一五八五)十一月二十九日夜半、白川郷を中心に大地震があり、当時保木脇の帰雲城には内島兵庫氏理(はる)が居たが、地震と共に背後の山崩れにより城は壊滅、氏理以下一族悉く死亡した。氏理の一族に新右衛門氏政という者があって偶々郡上に居て難を遁れ、後所縁を頼って延徳寺に来住し、出家して小八賀郷町方村に道場を開き住んだといわれる、今の還来寺の祖である。 |
出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
ページ | |
備考 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 岐阜 |
市区町村 | 大八賀【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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