後陽成天皇の天正十八年(一五九〇)にも大地震があり、このときもまた大破した。この折りは大和の長谷寺の規模を写して営繕した。甚目寺古図に載せてあるところの本堂である。仁王門の修理も同時に行った。(甚目寺文書、仁王門古材墨書に依る)
甚目寺七不思議
「尾州鳳凰山甚目寺七不思議縁起」というものが伝わっている。第一は、本尊の十一面観音像は金剛不壊であるから、打っても砕れず、水に入れても沈まず、火にも焼けない。第二は地震で堂塔伽藍が倒壊しても、観音の堂と三十三神のいます壇床は、昔から聊かも損亡したことがない。
(後略)