天正十三年十一月二十九日(一五八六)
大地震で荘川の水の流れは一変して、主流は中田川即ち現在の荘川に移った。この時支流中村川に雄神神社の御神体が流れて来て、深江村(西島)又次(宅)附近の梅の樹にかかり、後これを水ノ宮村に奉祀したという。この梅の樹は西町の小幡彦二に移されたが、後に西町の西之神祠に寄進された。現在枯れてなし。
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1 天正十三年十一月二十九日(一五八六)
大地震で金屋の東山くづれて荘川を埋め、三十日間もせき止め、やがてこれが決壊して今の弁財天の大岩で水路は大きく東西の二つに分れて流れ、東側は今の荘川の川筋となり、西側は千保川、中村川となる。荘川は砺波の野を櫛の歯の如く支流また支流に分れて流れる。この時の氾濫で、中村川へ雄神神杜のご神体が流れ来て深江村の又次附近の梅の木にかかり、これを一時又次宅に保管、その後ご神体を水ノ宮に奉祀されたという。