(福光町史編纂委員会 富山県福光町役場 昭和46・8・20 二九四頁、一一五四頁)
木舟城と石黒氏
木舟城は、西砺波郡福岡町木舟にあり、古くは糸町郷内であった。木舟は諸書に貴船とも書かれ、元暦元年(一一八二)福満城主石黒太郎光弘が、砺波一円を支配するに及んで、出城をここに築いた。西に小矢部川をひかえ、貴船の平岡、池沼の要害地に位し、石黒氏四〇〇年間の居城で、宗家福光城と並んで砺波郡の鎮めとして存続していた。城主石黒成綱が天正九年(一五八一)七月、江州長浜にて織田信長のため謀殺されて滅亡し、その後佐々成政の将、佐々平左衛門が天正一二年(一五八四)より約一カ年居城し、のち前田秀継が、翌十三年十一月二十九日の大地震にて圧死するまで四カ月居城であった。この城下町は今石動に移築されたが、さらに高岡城築城に際し、現在の高岡市木舟町に移った。その城郭の遺構は、宝暦十四年(一七六四)『古城址調書』に、
木舟城想定図「木舟城の資料」所収
本丸 東西 六十間(一〇九メートル)
南北 七十五間(一三六メートル)
二ノ丸 東西 四十五間(八二メートル)
南北 五十間(九一メートル)
三ノ丸 東西 三十間(五五メートル)
南北 六十間(一〇九メートル)
堀 廻り幅 五十間 三十間 十五間の三重
富山県として、西砺波郡として特記される地震は、まず天正十三年(一五八五)十一月二十九日の夜半に起ったものである。余震は十二日間も続いたといわれる。砺波地方に激しい地震があって、木舟城(いまの福岡町)は崩壊陥没し、城主前田秀継夫妻が圧死した。(?@)また、この時、金屋村・岩黒村地内の東方の山がくずれて荘川の流れをふさいだ。(?A)約二十日間水がたまったまま流れず、荘川本流が干川原となったといわれる。そしてこの湛水が欠壊して押し流れ出すときは、下流の被害が多大であると考えられて、沿岸関係町村の住民が立ちのきしたとのことである。しかし被害はなかった。
注 ?@越中史料 ?A富山県災異史料